2011-12-20

目黒警察署物語-佐々警部補パトロール日記- [佐々淳行著]


「伊丹十三の映画」を読んでいたら、伊丹十三氏が熱中して読んだとのことなので読むことに。面白い!

警察庁のキャリア組として採用された著者が、警察学校を修了して最初に配属された目黒警察署での新人警察官としての日々を書いている。実際は1954年10月から1955年1月までの約4ヶ月間なのだが、途中、戦争中の回想が差し挟まれたり、その後の自分の経験も書いているので、戦争末期から高度経済成長期までの東京の姿が浮かび上がってくる。

警察組織の人間模様が正直に描かれている。これは警察だけでなく会社でも役所でも組織に共通するものだと思うが、キャリア組として人の上に立つことが決まっている佐々警部補が良き上司となろうと決意する様子は読んでいてほっとする。それに、実際佐々警部補は担当の外勤3班のよき管理職となって外勤勤務評定で署内最高得点を得る。

自分に対してまずは反感を持つ大勢の人たちを相手に自分の仕事を良い方へ持っていこうとするのは実に骨の折れる仕事だけれど、短期間でそれを成し遂げたのは、やはり佐々氏が優秀な人だからなのか。根本の日本社会を良くしたいという気持ちがあったから部下の人たちの気持ちを動かしたのだと思う。やはり前向きな気持ちでいることは周囲にいい影響を与えるのですね。しかし、自慢がちょっとハナにつくかな。

1955年1月で佐々警部補は外勤からデカ部屋へ転属になる。デカ部屋での続編もあるので読もうと思う。

2011-12-15

伊丹十三の映画 [「考える人」編集部編]


三谷さんの「監督だもの」を読んだので、以前に買ったままだったこの本を読むことに。

おもしろい。非常に興味深く熱中して読んだ。

伊丹映画の関係者、プロデューサー、俳優、撮影監督、助監督、美術、メイク、スタイリスト、フードコーディネーター、制作、翻訳、通訳ほか様々なスタッフの談話と、心理学者岸田秀先生による伊丹映画の解説、最後に宮本信子さんから伊丹監督への手紙で構成されている。

これを読んで、伊丹十三が映画監督になったことが日本映画の分岐点になったのかということがわかった。

例えば、監督が撮影中にモニターを見ること。渡辺哲氏が、北野監督は撮影中モニターばっかり見て自分を見ないから嫌われているのかと思った、と言っていたが、今では当たり前になっている監督が撮影中にモニターを見ることは伊丹氏が始めたことだった。

それから、映画中の食べ物を小道具担当ではなくフードコーディネーターが用意するということ。伊丹監督がいなかったら女の子のカルト映画「かもめ食堂」はなかったかもしれない。

俳優の人たちは概ね伊丹監督に好意を寄せている。決して大声をあげることがなかったとのこと。みなさん思い入れを熱く長く語っているなかで、大滝秀治氏のページだけがたった7行。伊丹監督が言ったという、リハーサルは表現のブレを一本の線に安定させるためなのです、という言葉が印象に残る。

他に強く印象に残っているのは、岸田先生の伊丹映画の解説。「お葬式」で父を乗り越え、「タンポポ」で父と拮抗する力を得るまでに成長し、「マルサの女」で父から離れて社会正義を追求するようになった、と伊丹監督の映画から父に対する確執の変遷を読み解いている。

それにしても、自分が思い描く通りの映画を作るために自分に妥協することなく、他者にも容赦なく理解を求める強さに感銘を受ける。信念を強く持つ、というのはこういうことなのか。わがままに振り回されていると感じても、結局スタッフの人たちは伊丹監督に尊敬の念を抱いている。

この本を読んで、三谷さんは本当に伊丹監督と親しかったんだ、ということがわかった。

この本は、京都一乗寺の書店、恵文社で購入したもの。その意味でも大切な本です。

2011-12-01

監督だもの-三谷幸喜の映画監督日記- [三谷幸喜話 伊藤総研構成]


映画「ステキな金縛り」のメイキング本。

企画、ロケハン、キャスティング、撮影、編集の段階毎の三谷氏の感想と関係者のコメントが並んでいる。製作裏話満載、の本。

自分が思い描いていることの実現に、他人が力を貸してくれて、本当に形にしてしまうのは、人生の醍醐味だろうと思う。

三谷氏は決して妥協することなく、自分のイメージを追求している。強い精神力だ。周囲のちょっとやる気ない顔を見ただけで「じゃ、いいや」と折れてしまうような、ぐらぐらした個性(それは自分なのだけれど)では何事も成し遂げられないはずだ。

読んでいて、これは伊丹十三監督を意識して編集されているのではないか、と思った。「マルサの女日記」と形式は違うけれど、映画製作の関係者の話を集めて、三谷監督がどれほど映画製作に心血を注いでいるか、をアピールしている。三谷氏本人が書いたのではなく、実際には編集者、というか構成の方が"書いている"から自己顕示的なイヤミは感じられないけれど、それでも伊丹氏を意識しており、あわよくば凌ごう、としているような気負いが感じられる。その気負いは三谷氏本人から出ているものではないけれど。

「ステキな金縛り」を観た後でもやはり、私にとってのベスト三谷作品は「マジック・アワー」です。

2011-11-27

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 [スティーグ・ラーソン著]


リスベット、かっこいい!

前作「火と戯れる女」のラストシーンからこの小説は始まる。人身売買組織、冷戦時代の諜報活動、リスベットがなぜ後見人の元におかれているのか。前作で繰り出された謎や出来事が一つ一つ解決されていき、リスベット・サランデルという人物にまつわる過去が明らかになる。その陰にはリスベットを取り巻く人たちの献身的な努力があり、そういう人たちの優しさが、凄惨な事件の連続で暗くなるこの作品の癒しとなり、魅力的なものにしているのではないかと思う。

こんなむごい生い立ちは経験したくないけれど、リスベットが大金を手にして、一生お金に困らないで生きて行けるのはうらやましい。

著者はミレニアムシリーズを5作まで構想していたとのこと。あと2作の内容はまさに"神"のみぞ知る。リスベットの妹が登場するのではないかと思う。読みたかった、けれどとりあえずリスベットの人生がひとまず落ち着くのを見届けることができてよかった。

2011-11-16

ミレニアム2 火と戯れる女 [スティーグ・ラーソン著]


「ドラゴン・タトゥーの女」の続編。

前作でスウェーデン経済界の巨悪を、それぞれのやり方で倒したリスベット・サランデルとミカエル・ブルムクヴィスト。この作品では、リスベットの出生の秘密が明かされ、リスベットを亡き者としようとする者たちと彼女との戦いが始まる。一方ミカエルは、雑誌「ミレニアム」で人身売買の記事を掲載しようとしているが、人身売買組織を追ううちに、リスベットを狙う者たちに辿りつく。

「ドラゴン・タトゥーの女」では、怖いもの見たさをくすぐるプロットで読者はぐいぐい引き込まれていったが、この作品はそういうミステリ成分が希薄。ただし、登場人物たちの背後にある隠された過去を知りたい、という欲求がかき立てられる。

「火と戯れる女」は、スウェーデン社会が抱えている暗黒面がテーマのよう。バルト海を挟んで向かい合う隣国との関係がもたらす暗黒面。冷戦時代はソ連、現在は途上国であるバルト三国。北欧ののんびりした福祉国家、と思いきや人権無視の悪に蝕まれているのだ、ということ。

この作品は唐突な終わり方をする。次の「眠れる女と狂卓の騎士」でストーリーは完結。「火と戯れる女」と「眠れる女と狂卓の騎士」で一つの作品と言えると思う。この作品は前編だ。

2011-11-12

食べる音の恐怖 [GOOD FOOD]


Original Title: Misophonia: The Fear of Smacking and Slurping

人がものを食べる時にたてる音が気になるのは、一種の恐怖症である、という話。

オレゴン州のある音声学者は、これまで何百人という人たちをミソフォニア、音恐怖症と診断してきた。音恐怖症の人たちにとって、人がものを食べるときにたてる音、クチャクチャとかペロペロとかの音が耐えられないほどの不快感を与えている。食事中に黒板を爪で引っ掻く音を聞いているようなもの。

音恐怖症は先天的なものではなさそうで、ある日突然スイッチが入ってものすごく気になるようになる。彼らは情緒不安定で精神科的な問題を抱えているわけではない。きわめて普通に育ち、快活で運動も勉強もよくする子どもが、ある日音恐怖症になり、親が発する音がイヤになったりする。

原因は脳にあるのではないかと考えられている。人の耳にはさまざまな音が入って来るが、脳が聞きたい音だけを抽出して必要のない音は聞こえないようにしている。音恐怖症の人たちはこの抽出機能がうまくいってないために、ものを食べる音が聞こえてきてしまう、ということ。

実は私も人がものを食べる音がものすごく気になる。咀嚼する度に口を開けてクチャクチャと音をたてる人の方が下品だと思っていたが、その音が気になる人の方に問題がある、という結論に驚いた。呼吸するたびに音をたてる人も不快だし、口笛は大嫌い。それもこれもミソフォニアだからなのか。

2011-10-28

おばちゃまはヨルダンスパイ [ドロシー・ギルマン著]


CIA臨時エージェントの中年女性が主人公のロマンス冒険小説シリーズ。

引退したCIAエージェントが、友人のイラク人作家からの原稿を受け取るためにヨルダンへ赴くことになったのだが、観光旅行を装うカモフラージュとしておばちゃまこと主人公のポリファクス夫人を伴って旅立つ。イラク秘密警察、ベドウィン、ヨルダン警察を巻き込んでの騒動と危機の中で、おばちゃまが大活躍する。

「おばちゃまはスパイ」シリーズを初めて読んだ。シリーズを通して読んでいれば、おなじみの登場人物たちとのやりとりでこのシーンはクスリ、ニヤリ、なんだろうな。シリーズ初心者も十分楽しめた。ロマンス小説的冒険小説なのだけれど、国際情勢もしっかり書かれていて、スパイ小説としての面もきっちり押さえている。

1997年の作品。携帯電話がようやく普及し始めた頃で、アナログなスパイ活動もまだできた頃なのですね。今はインターネットと携帯電話抜きにスパイ小説を書くことができるのだろうか。

この年末にヨルダンへ行くので読んでみることに。冒険と恋があって、最後は無事に帰国できる、というのは理想の旅ですね。

2011-10-24

図書館の美女 [ジェフ・アボット著]


「図書館の死体」の続編。

母親の介護のために故郷の町に戻った元エリート編集者の周辺で再び事件が。連続郵便箱爆破事件に揺れる町に不動産会社による再開発計画が持ち上がり、反対派と賛成派に住民が分かれての大騒ぎに。主人公の元カノが不動産会社社員として町にやって来て、今カノとの間で何かと軋轢が生まれる一方、前作で判明した実父との関係もぎくしゃく。

シングルマザーの姉と認知症の母との同居となったら頭を抱えてしまうところだが、富豪の娘である美人の恋人がいるから主人公の生活はバランスがとれているのではないでしょうか。

前作では容疑者扱いされた主人公が汚名を晴らすために奔走して独自捜査を行うという理由付けがあったのだけれど....。

21世紀になった今でも、南部の人たちは南北戦争での敗北から北部人に対してこだわるものがあるようなのだけれど、この作品もそのことについて随所で描かれている。日本でも、福島県人は山口県人に対して今だに少しく反感を抱いている、と聞いたことがある。

2011-10-09

幻のバナナを求めて [GOOD FOOD]


Original Title: Go Bananas!

ナショナルジオグラフィックから助成金をもらって、コンゴへ新種のバナナを探しに行った人の話。この人は「バナナ」という著書もある。

コンゴのバナナ農園に珍しいバナナの種が残されているらしい、ということで研究計画をナショナルジオグラフィックに提出したところ、助成金を出してくれたので、探しに出かけていった。コンゴは中央アフリカに位置する。かつてはベルギーの植民地だったが、農園は1960年代に放棄されてしまった。しかしまだ研究施設が残されており、珍種のバナナを育てているということだった。

結論から言って、目指した珍種のバナナを見つけることはできなかったが、近隣の村落が栽培している8種類くらいの新種を知ることができた。この種の由来を研究するのはかなりやりがいがありそうだとのこと。

バナナは自生受粉しない。つまり人間の手がかからなければ実をつけることはないし、自生地からよその土地に移ることもない。バナナは今や世界中で栽培されているけれど、東南アジアのタイあたりが原産地と考えられている。貿易、戦争などの人の動きにつれてこの3000年でバナナは拡散していった。アフリカのバナナがどのようにして来たのかは、人の歴史を探究することにもなる。

この人が今回のコンゴ行きで見つけたバナナの一つにイボタイボタという種がある。現地語で"肥える肥える"という意味。1本の木に40ものバナナがなるそう。味もよくクリーミーな果肉とのこと。

海外、特に途上国へ行くと色々なバナナを見る。しかし、先進国に流通しているバナナはキャベンディッシュのみ。大手バナナ会社各社がキャベンディッシュという種のバナナしか栽培していないから。今キャベンディッシュにパナマ病という病気が流行っており、バナナ会社は危機感を抱いているよう。

バナナは庭で育てることができる、とのこと。そういえば沖縄や台湾では庭先にバナナの木を見かけることがある。バナナを1本育ててみようか。

2011-10-07

アントニーとクレオパトラ [ウィリアム・シェイクスピア著]


蜷川演出の「アントニーとクレオパトラ」を観に行くので読んでおくことに。

ジュリアス・シーザー亡き後のローマでの権力争いとエジプト王朝の最後が時代背景。そこに中年男女のアントニーとクレオパトラの恋というか愛憎が描かれている。恋は人を愚かにする。「あなたが私のもので、終生変わらぬお心の持ち主だと、どうしてそう考えられよう」

シェイクスピアは素晴らしい。これほど人間と人生と社会を的確で簡潔でわかりやすく表現している作家は他にいないのではないか。シェイクスピアは先駆者だ。

物語として読むと空白部分が多く、突然別方向に展開するような所に戸惑うのだけれど、芝居として読むと、その空白をどのような演出で埋めるか、どんな演技で観客を納得させるか考える余地となる。そこがものすごい魅力なのだろうと思う。脇役にもその人が主人公足りえるドラマが垣間見える。

観に行く芝居がどのような出来になっているか。楽しみが増えました。

2011-10-03

コーリャ愛のプラハ [ズデニェック・スヴェラーク著]


共産主義崩壊寸前のチェコを描いた作品。著名なチェロ・ソリストでありながら、弟が西側へ亡命したためオーケストラを解雇された主人公。お金のためにソ連人女性と偽装結婚するが、女性は子どもを置いてドイツへ亡命。残された子どもの面倒をみる羽目になり、両者の間に心の交流が生まれる、という話。

まるで映画のカットをそのまま文章にしたような文体。チェコ語の特徴なのか、全編を通して現在形なのが違和感だった。が、実はこの作品は映画にもなっているとのこと。映画が始めにあり、それを小説化したよう。

東ヨーロッパの映画らしい演出とカメラワークと照明が見えてくるかのようだった。

2011-09-29

図書館の死体 [ジェフ・アボット著]


田舎町の図書館で他殺体が発見される。発見者の若き図書館長は前日に被害者と口論していたため、容疑者とみなされてしまう。容疑を晴らすため捜査を始めると、退屈な町の住民の知られざる顔が次々と現れ、晴天の霹靂の衝撃事実が!

アガサ・クリスティの世界だ。田舎町で殺人事件。しかも、犯罪とは全く無関係に見える場所で遺体が発見される。そして捜査で浮かび上がる住民の秘密の数々。最後に関係者が集まって探偵が真犯人を名指しする、というシーンはないのだけれど、まさしくクリスティの世界。と思ったら、1995年にアガサ賞を受賞していた。

本格推理物では、探偵が関係者たちから証言を集める段階がちょっとだれてしまうことがあるのだけれど、この作品の場合、アメリカ的ノリの軽さとジョークで面白く読み進んでしまった。マンガっぽい表現が多かった。例えば挨拶の握手をする時、「井戸水を汲みあげる昔のポンプの取っ手でも動かすように、大きく上下に振った」とか、被害者の意外な一面を知って「あやうく顎をはずしそうになるのをまぬがれ、顎の先を床にこすらずにすんだ」とか。

でも、構成はしっかりしていて真相に破綻がない。ちゃんと伏線が張られていて、あっと驚く秘密の暴露も納得。

この前に読んだ「何かが道をやってくる」も図書館が主要舞台の一つだったので、自分的には図書館つながりの不思議な縁を感じた。

2011-09-25

アメリカの韓国料理研究家の数奇な人生 [GOOD FOOD]


Original Title: Kimchi Chronicles

韓国料理番組を持っている韓国料理研究家が番組タイトルと同じ本を出版。料理研究家本人も、出自から現在に至るまで本になるような人生を送って来た。

公共テレビ放送局が放送している「 キムチ年代記(Kimchi Chronicles)」というタイトルの料理番組は、色々な韓国料理を紹介して韓国料理の普及に貢献しているよう。ホストの韓国料理研究家は、恐らくまだ30代だと思うけれど、きれいな女性。インド系か、ヒスパニック系のアメリカ人に見える。

本人は実は黒人GIと韓国人女性の間の子として1970年代に韓国で生まれた。彼女が生まれる前に父親は帰国してしまい、つまり母子は取り残されてしまったわけだけれど、1970年代の韓国社会は混血児、特に黒人の血を引く子どもとその生み親に対して全く寛容ではなく、母親は3才まで彼女を育てたが、あまりに経済的に苦しくてこれ以上自分は育てられないと、彼女を養子に出した。

彼女を引き取ったのはアフリカ系アメリカ人の夫婦。以来、彼女は米東岸のバージニア州で育った。養父母は勤勉で善良な人たちだったようで、子どもが大人になった時に自分の実母とめぐり会えるようにと、すべての書類をきちんと保存しておいてくれていた。

そして彼女は大学を卒業した時に、当時ニューヨークに移り住んでいた実母と再会した。それからは実母とよく行き来するようになり、韓国料理に親しむうち、韓国料理研究家となった。

3才からアメリカ人として育ったけれども、彼女は韓国でのことを忘れたことはなかった。再会した実母が、彼女が子どものころ食べていた料理を作ってくれ、それを食べた時に3才までの記憶、匂い、音、景色が鮮やかに甦って来たと言っている。

3才頃の味覚というのは強烈に記憶に残っていて忘れがたいものがある。3才の頃、ねじりパンが大好きだった。今はツイストという名前で売られている揚げパンというかドーナツ。パン屋に置いてあると必ず買うのだけれど、子どもの時に食べたあのおいしさに再会したことがない。

2011-09-22

何かが道をやってくる [レイ・ブラッドベリ著]


ハロウィーンの10月。小さな町にやって来た奇妙なカーニバル団を巡る、2人の少年と一人の父親の冒険物語。

印象に残る、人生を鋭く切り取った文章が散りばめられていて、ところどころで「詩」ではないかと思った。

物語の始めに少年二人は、避雷針売りと出会う。印象的な出だしなのだけれど、このシーンの前のプロローグでブラッドベリは有名な一文を記している。「そして、彼らが一夜のうちにおとなになり、もはや永久に子供でなくなってしまったのは、その十月の、ある週のことであった」

主人公はジム・ナイトシェイドとウィル・ハロウェイ。そしてウィルの父親。町の図書館の館長でもある。少年たちは14才を目前にしているが、ウィルの父親は54才。人生を始めようとしている少年と人生が終わりにさしかかっている大人が、怪しいカーニバル団との関わりの中で"今を生きる"、ということを考えていく。

もし学生の時に読んだら少年達に感情移入したと思うが、今回はどうしてもウィルの父親に添って読んでしまった。ラスト近くにまた印象に残る文章がある。「死はそれほど重要なことなのだろうか。いや、重要なのは、死の前に起こるすべてのことなのだ。」

2011-09-14

ドラゴン・タトゥーの女 [スティーグ・ラーソン著]


壮大で深く、謎に引き込まれる作品。しかもメッセージがある。そして、発行前に著者が50才の若さで急逝したのもこの作品をいわくつきのものにしている。

物語の構成は少し複雑。日本語版の場合、上巻では、ジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストとパンク少女の保険調査員リスベット・サランデルの話が平行して描かれる。ブルムクヴィストは、巨悪企業のスキャンダルを記事にして逆に名誉毀損で有罪判決を受ける。が、彼のあきらめない調査姿勢を買った大富豪から、40年前に起こった姪の失踪事件の調査を依頼される。一方で作者は、社会とうまく折り合いを付けて生きていくのが苦手なリスベットの生活を通して、社会的弱者が置かれている状況についても描いている。

下巻でブルムクヴィストとリスベットが出会い、一緒に失踪人調査を進める。事件は意外な方向へ進み、二人に危機が迫る。ミステリーとしての面白さを十分堪能できるのだが、作者はここで話を終わらせず、現在のスウェーデンが抱える問題に対してメッセージを突きつけるところまで書き進めている。原題は「女を憎む男たち」。この作品のメッセージの一つを表わしていると思う。

40年前の事件を今更調査しても、新たな証拠が出るはずがない、と思いきや、21世紀のテクノロジーがあってこそ浮かび上がってきた事実があり、主人公たちは一気に真相に近づいていく。

スウェーデン人作家の名作といえば、マイ・シューバル/ペール・ヴァールーのマルティン・ベックシリーズ、リンドグレーンの長靴下のピッピシリーズなどがあるけれど、この作品にはそれらへのオマージュではないかと思える部分が多数あり、マルティン・ベックシリーズやリンドグレーンに親しんだ者として読んでいて楽しかった。主役2人は、リンドグレーンのピッピとカッレくんをイメージして作られたらしい、と上巻の訳者あとがきに書かれている。

ところで、作品中にメールアドレスなどがはっきり明記されていて、現実に差し障りないのだろうか、と思ってしまった。それから、スウェーデンといえばフリーセックスの国、というイメージもあるのだけれど、やっぱりそうなのか、と思うところもあった。食事のシーンがいくつかあって、レバーペーストのサンドイッチをよく食べている。レバーペースト。懐かしい。食べたくなってしまった。

スウェーデンではすでに映画が制作されヒットしたとのこと。ハリウッド版が2011年11月に公開される。主役のミカエル・ブルムクヴィストはダニエル・クレイグ。予告編を見る限り、かなり原作に忠実のよう。MGMがこれで資金を稼ぎ、ダニエル・クレイグの契約で残っている最後の1作の007シリーズを制作してほしいところ。

2011-09-05

紐と十字架 [イアン・ランキン著]

エジンバラを舞台にした警察小説、リーバス警部シリーズの記念すべき第一作。この作品ではリーバスはまだ部長刑事。

陸軍のSAS部隊を除隊した元軍人のリーバスは警察に再就職し、叩き上げのデカとしてキャリアを積んでいるが、軍隊時代の悪夢に悩まされている。エジンバラでは少女連続殺人事件が町を騒がせていた。

この「紐と十字架」も、物語が進むにつれて男2人の対比と対決という構図になってくる。しかも、2人の過去が事件の発端。この本の直前に読んだエルロイの「血まみれの月」と似ているなぁ、と思ったら、解説に、作者のイアン・ランキンは、エルロイの影響を受けている、とインタビューで語っているとのこと。

この第一作でシリーズの中で語られているエピソードの出所がわかったけれど、日本では3作から7作までが未訳のよう。リーバスが勲章を授章したというエピソードを読んでみたいし、シボーンはいつから登場するのか。シリーズはまだまだ続いているので、新作も読まなければ。

2011-08-31

血まみれの月 [ジェイムズ・エルロイ著]


エルロイ初期の作品。

成人する前に似たような悲惨な経験をした男2人が、二十数年後、連続殺人犯と事件を追う刑事として対決する。この2人の間に、ある意味で事件の発端となった女が絡んできて、3人の関係がクライマックスにもつれこんでいく。1980年代が舞台。

2人の男の対比とそこに絡む女、という構図は「ブラック・ダリア」に通じる。「LAコンフィデンシャル」にも通じているかも。この「血まみれの月」の"運命の女"は男たちのキャラクターとドラマの迫力に対して力量不足な感じはあるけれど。

それにしても暴力と犯罪現場の描写が凄惨で、初期の作品のせいか荒削りなところがあり、余計に神経にこたえる。鬱がひどくなってしまった。

2011-08-28

ジョブスはフォードやエジソンと並び得るか? [NPR]

Original Title: Does Jobs Have Place In History Beside Edison, Ford?

8月24日、スティーブ・ジョブス氏がアップル社のCEOを退任した。ジョブス氏は人々の生活を変えてしまったという点で、フォードやエジソンに並ぶかどうか、という話。

ヘンリー・フォード博物館の主席学芸員がインタビューを受けて、ジョブスはエジソンという発明家とフォードという革新者が混合しているような人物だとしている。

発明家のイメージは、世の中の役に立つのかわからないアイデアを実現するために時間と労力を惜しまない人、というもの。まさにエジソンだ。一方フォードは、フォード社創業当初、会社と一体化した存在とみなされていた。

ジョブスは、わたしたちが必要とも思わないものを作り出して、それを愛するようにしてしまった。黒いタートルネック姿で新製品を披露する姿は、アップル社の一部といってもよい。

エジソン、フォード、ジョブスに通じるもの。それは固執、先見の明、表現力。さらに何か特別な要素が彼らを先駆者とした。

今から10年前にNHK「クローズアップ現代」に出演したジョブス氏は、やり続けることが成功にとって一番肝心なことなのだ、と言っている。そして自分のアイデアを世に現わしたいという熱意こそがその源になるのだ、と。

CEO退任から2ヶ月足らず後の10月5日にジョブス氏は56才で死去。NPRは、「コンピューター界の詩人、死す」と報じた。

2011-08-24

夜明けの街で [東野圭吾著]

アガサ・クリスティっぽい。

アラフォー男が1年契約で職場に来たエキセントリックな派遣社員と不倫の恋に落ちるが、彼女は思春期の頃未解決の殺人事件と関わりがあった、という話。

本来ならドロドロの人間ドラマが中盤までさらっと描かれていて、中盤あたりで過去にあった密室殺人の概要が明らかになる。関係者たちが続々と登場し、主人公のアラフォー男に恋人への不審感を植え付ける。彼女は犯人なのか、どんなトリックが背後にあるのか。

この不倫男の心情が生々しく綴られていて、作者にきっと経験があるのでしょう。それと、男の本音がわかったよ。おいしい洒落た料理を作ったり家の中をこぎれいにしても、だからといって妻を高く評価しないのですね。

主人公の不倫の恋は1年足らず続く。その間悦びに浸ったり罪悪感に苛まれたり感情の起伏が激しい。しかし、この人はラッキーな不倫の恋をしたと思いますよ。あと腐れのない、ね。

人間ドラマも描かれているけれど、そこはさらっと描かれていて、最後に関係者が集まって密室殺人という古典的トリックが明かされるという構成がアガサ・クリスティっぽいと思った。

2011-08-14

荒野の七人 [ジョン・スタージェス監督]

全員、なんてスマートなんだ。体型も仕草も役柄もスマートだ。

黒沢明監督の名作「七人の侍」を下敷きにしている作品。しかし、黒沢作品の方が、荒々しさ、どぎつさ、激しさがより鮮明に描かれている気がする。

黒沢作品では、戦いを生き残った主要キャラクターを演じた俳優が実生活では早世しているけれど、この映画でもユル・ブリンナーとスティーブ・マックィーンが1980年代に亡くなっている。他の5人は21世紀になってから亡くなっている。映画の中で一番最初か2番目に死んだ役のロバート・ヴォーンは健在で、2012年公開予定の続編(!)に出演している。

話しは変わるのだけれど、午前十時の映画祭は往年の名画を上映するので、作品によっては観客にお年を召した方が多いことがある。この「荒野の七人」のような長編映画の場合、途中で睡魔に襲われるようで、いびきとも寝言ともため息ともつかない異音を発する方がいらっしゃいますね。

2011-08-12

えてこでもわかる笑い飯哲夫訳般若心経 [笑い飯哲夫著]


おもしろい!下品だけど仏陀の教えをちゃんと説明している。仏陀の教えが何であるか、わかるようになっている。

般若心経が、「空」についてこれでもかこれでもか、というくらい説明していることがわかった。その上で哲夫氏は、全てはつながっていて「全体が液状にドロドロしてて、ただ偶然、ドロドロしてる中のここからここまでの部分が自分となって現れてるだけやねんで」(p.119)、だから他人に善いことをするのは自分に善いことをするのと同じ、それが"慈悲"だと言ってる。

この考えは、マイケル・サンデル教授が説くコミュニタリアンの考えと通じている、と思った。1人の人間はそれ自体で存在するのでなく、歴史的、社会的なつながりのなかで存在しており、その人を取り巻く環境に負っているという考え。

慈悲について"笑い"の観点から考えていることに、はっとさせられた。慈悲深い方がおもろいんだ、と。「居酒屋に入って、「おい、はよこの机拭かんかえ」と、店員に怒るより、「この机拭かせて下さい」と言って自分のハンカチでゴシゴシする方がおもろいんです」(p.140)

たしかに、自分の思う通りに人を動かして得意になっている人の話より、あえて困難に飛び込んでいく人の話の方が面白いし、人が集まるのではないか。

哲夫氏の般若心経の読み解き方には唸らせられる。特に「是故空中無色」の訳し方。空中=in the skyから空=nothing、つまり in nothing と読み替え、さらに in を「の状態で」と訳すことによって、「この宇宙に存在するいっさいの事物や現象には実体がない」に辿り着いている。すごいや。

2011-08-06

荒野の用心棒 [セルジオ・レオーネ監督]

若き日のクリント・イーストウッド、超クール。

粗織りのポンチョ、シープスキンのチョッキ、タンガリーシャツ、藍染めの細いバンダナ、ストレートジーンズ、バックスキンのライディングブーツ。衣装がキマっている。「午前十時の映画祭」のサイトによると、この衣装はイーストウッド自身が考えて用意したものとのこと。

粗織りのポンチョは本当にカッコよくて、昔から欲しいと思っている。裾をめくって肩にかけ、腰の銃に手をかける仕草にはホレボレする。

黒沢明の「用心棒」を下敷きにしている作品。黒沢作品は観たことがないが、この状況設定は西部劇だからこそ生きるような感じがする。外界と隔絶する砂漠の中の小さな町、対立する二つの派閥、しかもそれぞれ白人とメキシコ人と人種が異なっている。そして現れる凄腕の風来坊。映画の中の登場人物たちの位置関係はわかるけれど、三者の背景についての説明は全くなし。対立とその間で画策する主人公の動きが、サスペンスとアクションを紡いでいく。

この映画にメッセージは何もないけれど、演出と俳優の演技が観客を映画の世界にどっぶり落とし込んでくれる。最後に主人公の風来坊が颯爽と去る姿にカタルシス。チープだけれど映画の本質が凝縮されている。

それにしてもクリント・イーストウッドの立ち姿と横顔はルパン三世に似ている。

1964年。製作イタリア。


2011-07-31

舌ガンから甦ったシェフ [GOOD FOOD]


Original Title: Grant Achatz of Alinea

シカゴにあるレストランのシェフが、舌ガンを克服した上に、全く新しいタイプのチケット制レストランを始めた話。

レストラン雑誌によって北米第1位、世界第7位に位置づけたシカゴのレストラン、アリニアのシェフは、店をオープンさせた2年後にステージ4の舌ガンを患っていることがわかった。たいていのガン患者は、余命がわかると人生観が変わって、これまでできなかったことをしようとしたりするが、このシェフは今までと同じ生活を続けていきたいと考え、家族と過ごす時間を確保するために週に100ドル以上は稼がないと決めた。

店には62人のスタッフがいるが、1年半の治療を受けている間、自分の病気でスタッフを意気消沈させたくなかったし、スタッフにも自分をがっかりさせてもらいたくなかったので、相互に信頼し合える関係を築きあげるようにしてきた。

手術を受けるまでの間、これまで弟子として指導してきたスタッフに徹底的に自分の味を覚えてもらい、手術後、自分が味覚を取り戻すまでの間は彼らに自分の料理のチェックをしてもらった。信頼関係と謙虚でなければできないことだったろう。

味覚が戻って来る時には、もう一度味わい方を学び直した、と言っている。シェフとしての経験を踏まえた上で、赤ん坊のように味覚を再体験することができた。始めに甘みを感じ、次に塩辛さ、苦み、酸っぱさが、次々と波のように甦ってきた。

舌ガンから全快した今は、新しいタイプのレストランを始めている。チケット制のレストラン。このレストランの特徴は2つ。1つは、メニューは世界の各地域をテーマに4期毎に変えること。2つ目は、音楽コンサートと同じようにオンラインで日時とテーブルを選んでチケットを購入する、というもの。

チケット制は画期的なビジネススタイルのよう。コンサートと同じように、当日客が行かれなくなっても払い戻しはしないので店側は利益を確保することができる。購入した本人が行く必要はないから、人にあげても差し支えない。それに、チケット制だと食事の後に精算する必要がないので、給仕の手間が省ける。

飲食業は利が少ない業種だが、ビジネススタイルを変えることで改善していきたいとのこと。予約が少ない水曜午後9時の予約を土曜午後7時の予約の25%引きで販売したり、など。85ドルの25%引きで63ドルになる。

ガンがわかった時のシェフの心の持ちように感銘を受けた。前向きであったことも全快につながったと思う。それから、このチケット制レストランのビジネススタイルは今後各地に広まっていくのではないだろうか。

2011-07-29

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業 [マイケル・サンデル  NHK「ハーバード白熱教室」制作チーム著]

アリストテレスからコミュニタリアニズムまで政治哲学の主要な理論を追いつつ、より善い社会を実現するにはどのような考えに基づいてどのように行動すればよいのかを考えている。

講義(この本)は、功利主義、リバタリアニズム、カントの純粋実践理性、契約論、アリストテレスの目的論と議論を進め、サンデル教授が持論とするコミュニタリアニズムの考えに学生(読者)を導いている。

コミュニタリアニズムは、その人自身は同意した覚えがなくとも人間には守らなくてはならない道徳的つながりがある、という考えのもと、人は属するコミュニティの過去・現在の中で自己を考え、現在と未来に善い影響を与える生き方をするべきではないか、としている。

この考えは仏教に通じていると思う。自己は独立した存在なのではなく、環境と一体化しており、コミュニティは自分であり、自分はコミュニティの一部である、という考えにおいて。

冒頭で、サンデル教授はこの講義は「慣れ親しんで疑いを感じたこともないほどよく知っていると思っていたことを、見知らぬことに変えてしまう」(上巻p.22)と言っている。これは学問の真髄であり醍醐味ですね。そしてこの本を読んで、物の見方が少し深まったような気がします。

ポッドキャストで講義を視聴していたが、功利主義からリバタリアニズムに移るあたりでついていけなくなってしまった。課題図書を全て読み、講義を理解してその場で自分の意見を述べ、さらにレポートも書いているハーバードの学生はやはり優秀だ。

しかし、この政治哲学の一連の講義を読んで思ったことは、これらの理論は先進民主社会を前提としているのではないか。アフリカ、南米の社会は、社会の中で善を追究するという環境にすらなっていない。

「銃・病原菌・鉄」を読んだ後なので、ロールズの、有利な条件から得た結果を不利な人たちのために役立てる、という考えは、ユーラシアに在る社会がアフリカと南米にある社会に対して負っているものであるとも思う。

カントについても紹介しているのだが、カントの、自分が自分に課しているルールに従っている限り自分は自由だ、という考えは、ハードボイルドの主人公たちと同じではないか。彼らはカント的に生きているといえる。

2011-07-26

どうしても体重が減らない女 [NPR]


Original Title: One Woman's Struggle To Shed Weight, And Shame

高校時代はスポーツ万能で学校一の美人だった女性が、136キロの体重をどうしても減らすことができないでいる話。

現在、米国の肥満人口は七千万人に上るとのこと。肥満は大きな社会問題というか行政の問題点で、ニューヨークでは甘味飲料に課税するソーダ税を施行しようとしているし、米国以外でも10月1日にデンマークが脂肪税を施行した。

この記事の女性は、高校時代は陸上と水泳のチームで活躍した学校一の美人だったが、大学入学から太り始め、1年で50キロも体重が増えた。食生活と健康にかなり気を使う家庭で育った彼女は、大学に入って親元から離れると、チョコレートとチーズ風味のスナックを思い切り食べるようになったのだ。

それから15年、現在37才の彼女に高校時代の容姿の面影はまったくない。これだけ太っているとズボンを穿いたり、靴ヒモを結んだりといった日常生活の小さな事をするのにも苦労する。恋愛についてもあきらめている。かつて学校一の美人だった魅力は損なわれていないから、痩せればモテるだろうけれど、もし体重を標準まで減らせることができても、皮膚に肥満の跡が残ってたるむだろうし、いずれにせよ、もう誰かと裸同士になることにワクワクしない、と言っている。

ここまで体重が増えると減量も一筋縄ではいかない。食餌療法、鍼療法、厳しいエクササイズ。いくら運動でカロリーを消費しても、結局食べる量を減らさなければ効果が上がらないが、一旦食べ始めると止まらなくなってしまうようだ。肥満について常に煩悶している。自分の意志が弱いせいだと自分を責める一方で、中毒性のある不健康な食品があるから肥満になるんだと、他者を責めたり。そんなこんなを考えてまた食べてしまったり。

最近は、肥満は自分個人の問題ではなく政治的な問題だと考え、積極的に活動するようになった。NPRラジオ局に来て肥満の自分について話をするのもその一つ。現在の自分を肯定することからやり直し、いずれ体重とともに肥満の汚名も落としたいと考えているとのこと。

80キロ減量考えたら、あと3キロの減量は何でもないこと。運動しておやつを食べなければいいのだから。しかし、中毒性のある風味の高カロリーのスナック菓子は何とかしなければならないと思う。

2011-07-24

ローマ人の食事 [GOOD FOOD]

Original Title: Eating in Ancient Rome
古代ローマ人の食事についての話。上流階級と下層階級では食事作法が異なっていた。

上流階級の人たちは、給仕されて他種類の料理を時間をかけて食事していた。これは古代ギリシャの人々の真似をしたものらしい。

食堂に入ると、奴隷が手を洗ってくれ、食前酒を飲みつつ魚介類などの軽いものから始める。食前酒は甘い香辛料の効いたワイン。冷やしたり、温めたりしていた。インドとも交易があって、地中海沿岸が一つの国に収っていたのはこの時期だけ。豊かであることに誇りを抱いていた。勿論、ワインは薄めて飲んでいた。古代ローマ人がワインを薄めて飲んでいたのは、「世界を変えた6つの飲み物」にも書かれている。

下層階級の人たちは早食いで、屋台や居酒屋でシチューとパンの食事をとっていた。トマトはまだ地中海になかったので、フルーツなどを使って煮込み料理を作っていたとのこと。

食事も時代とともに変わっていくのですね。昔日本では食器を洗わなかったそう。水が貴重なので最後に茶碗で茶を飲んでおしんこで拭っていた、と読んだことがある。

2011-07-16

フレンチ・コネクション [ウィリアム・フリードキン監督]


深い刑事ドラマだ。

フランスの麻薬組織がニューヨークへ密輸したコカインを巡って、ジーン・ハックマン演じるニューヨーク市警察の刑事とフェルナンド・レイ演じる麻薬組織のボスとの攻防を描いている。尾行、張り込み、カーチェイス、独断専行の主人公と調和型の相棒、官僚的な捜査官。「フレンチ・コネクション」は刑事ドラマの演出の教科書になったのではないかと思う。

イタリア移民の売人、フランス人実業家、アメリカ人刑事と国際色溢れるキャラクターたちなのだけれど、フランス人実業家が絡んでいるから作品に洗練されたものが加わっているのではないか、と思うのは偏見? フェルナンド・レイが高級レストランで食事している間、向かい側の歩道で刑事たちがファーストフードをほおばりながら張り込みを続けるシーンは有名。

今の時代に麻薬組織と警察の攻防を描くとしたら、麻薬組織は南米人やアジア人で構成されていて、もっと泥臭い人間の欲望剥き出しのドラマになると思う。「フレンチ・コネクション」では犯罪者の方が刑事よりいい生活をしている皮肉が映画を面白くさせている。

捜査が進むにつれて偏執的になっていく主人公は、ラストの銃撃戦で取り返しのつかないミスを犯す。そして組織のボスを追ってドアの向こうに主人公が去っていった後、一発の銃声が響き渡り、映画は終わる。

1971年製作。

2011-07-11

所得格差は経済成長の足かせか [NPR]


Original Title: As Income Gap Balloons, Is It Holding Back Growth?

史上最大の所得格差についての話。

市場に影響を与えるので、連邦準備制度理事会の理事たちは慎重に発言するものだが、6月、理事の一人、ラスキン氏は率直に所得格差に対する懸念について発言した。連邦準備制度理事会は、米国の中央銀行に当たる。

米国では1928年以来今が一番所得格差が大きい。ニューヨークタイムズによると、2010年に企業経営者の給与は23%上昇したが、一般労働者の給与は0.5%しか上昇していない。人口の0.1%が全米所得の10%を得ている。この格差はカメルーンやアフリカ西岸諸国と同じレベルだ。

なぜ所得格差が広がったのか。

1980年代頃まで、企業経営者は自分の給与を必要以上に増額しようとはしていなかった。この時代の経営者は第二次世界大戦を経験しており、恐らく、社会と自分の関係について考えるところがあったのではないか。

しかし、現代の経営者の考えは異なるようで、ある企業では30年前に比べて経営者は10倍の給与を、社員は9%少ない給与を支給されている。インフレを考えると、実質はかなりの減額だ。

連邦準備制度理事会のラスキン氏は、所得格差は家計支出の抑制、貯蓄の減少、犯罪の多発などにつながり、経済混乱が起こると言っている。

ちょうど1年前の2010年7月に、上院で市場の監視と規制を強化する財政再建法案が通過したが、この1年所得格差を縮める効果は上がっていない。

所得格差の大きい南米諸国が常に社会不安に悩まされ、経済が行き詰まっていることを考えると、著しい所得格差は国に悪影響を与えるのは明らか。何より、お金を経済の血液と考えれば、一つ所にお金が集まって流れていかないのは、動脈硬化と同じ状態だ。

ハーバード白熱教室でサンデル教授は、リバタリアンを批判しているし、異端の経済学者ポール・クルーグマンも、高額所得者への減税に反対している。こういった著名学者が、所得格差を促進する社会のあり方に異議を唱えており、彼らが注目されているということに希望を見いだせるかもしれない。

9月中旬からニューヨークで格差是正を訴えるデモが始まり、全米に飛び火している。この問題はかなり大きな騒動になりそうだ。

2011-07-10

スパイだった料理研究家 [GOOD FOOD]


Original Title: Julia Child Before She Was Julia

2009年12月に公開された映画「ジュリー&ジュリア」の主人公の一人、ジュリア・チャイルドの伝記本の話。

ジュリア・チャイルドはアメリカでは元祖料理研究家、とみなされているが、料理研究家として有名になったのは中年になってから。それまで彼女が何をしていたのかというと、軍事戦略局で働いていた。スパイ、というよりスパイの後方支援の仕事をしていたよう。

ジュリア・チャイルドはカリフォルニアの裕福な牧場主の娘として生まれ、大学進学したが卒業後は故郷に帰らず、まぁ、フラフラしていた。何かが起きると期待していたのに何も起こらないまま時が過ぎていく中、第二次世界大戦が始まる。

折から、のちにCIAとなる軍事戦略局は、人材不足を補うために有名大学卒で自立している旅好きで勇気のある若者なら未経験者であっても採用していた。ジュリアはワシントンでリクルートされ軍事戦略局の職員となる。

当初していた仕事は、リサーチの手伝い、海に落ちたパイロットの救出作戦、極秘書類に関する書類仕事など。でも、カリフォルニアの田舎から出てきた若い女性にとっては、情報局での仕事は、海外に出かける機会があり、個性的な同僚と知り合い、、かなり視野が広がったよう。夫となるポールと出会ったのも軍事戦略局での仕事を通じて。スリランカで出会ったポールはパリに長く住んでいた局員で、彼女と料理を結びつけるきっかけとなった。

パーティ・ガールから情報局員、そして料理研究家。3回人生を生きたようなものですね。

007/危機一発(ロシアより愛をこめて)[テレンス・ヤング監督]


007シリーズ、というかアクションスパイ映画の原点、と言える作品。

ジェームズ・ボンドに扮した囮がやられる冒頭シーン、顔を見せない親玉が長毛の猫をかわいがる演出、世間を欺く姿が世界チャンピオンの敵役、冷酷無情の金髪の殺し屋。そして、ユーモアと冷たさを合わせ持つモテまくりプレイボーイの主人公。

007シリーズは、ヒロインが2人登場して、1人は途中で殺されてしまうのだけれど、ロシアより愛を込めての場合、2人目のヒロインはもしかしてローザ・クレッブなのか。ボンドガールのダニエラ・ビアンキは本当にきれいな女性だ。が、この映画の声は吹き替えとのこと。本人の英語はあまりにもイタリア語訛りが強かったから。

ボンドとタチアナが初めて出会うシーン。ボンドがホテルの部屋に入って来て、服を脱いでシャワーを浴びようとすると物音が聞こえ、腰にバスタオルを巻いて寝室に様子を見に行く。ワンカットだったと思うのだけれど、ショーン・コネリー以後、ボンド役のオーディションで候補者にこのシーンを演じてもらっているとのこと。何でもない動きだけれど、緊張、ダンディな色気、スリルを演じ見せなければならない。このシーンがオーディションに使われているということは、やはりショーン・コネリーが007役の原点ということですね。

伊丹十三氏が、ただ歩いているだけで絵になる役者がいれば、自分の映画にそういうシーンを入れたい、というようなことを言っていた。

「危機一発」という邦題は水野晴夫氏が付けたとのこと。危機一"髪"ではなく、"発"なのがミソらしい。

「ロシアより愛を込めて」は1963年制作。43年後の2006年の「カジノ・ロワイヤル」にはショーン・コネリー・シリーズのオマージュが散りばめられているような気がする。両方に登場するベニスは全く変わっていない。ダニエル・クレイグの契約はあと1本残っているらしいが、MGMの経営危機で007シリーズはどうなるのか。

2011-07-07

画期的な面通し改革 [NPR]


Original Title: To Prevent False IDs, Police Lineups Get Revamped

テキサス州の警察が、心理学者の研究を取り入れて容疑者の面通しの方法を変えている話。

実際には、警察が目撃証人に容疑者を特定してもらうのは、映画「ユージュアル・サスペクツ」のポスターのようなものではないらしい。目撃証人は何枚かの写真を見せられて、その中から選ぶことになっているよう。しかし、この単純な方法も心理学者の研究成果を取り入れて変わってきている。

例えば、写真を見せる前に、この中に犯人はいないかもしれません、と前置きする。複数枚の写真をいっぺんに見せず1枚ずつ見せるようにする。それから、目撃証人が「この人かもしれない」と言ったら「よくわかりませんか?」と聞き返す。刑事は目撃証人が写真を見ている時にあまり関心がなさそうな態度をとる、など。

こうした改革は、面通しで無実の人を犯人と特定してしまうことを防ぐためのもの。目撃証人と刑事との間には微妙な心理的駆け引きがある。人は無意識に空気を読んで、その場に適当な反応をしようとしてしまう習性があるから、刑事のささいな言動や仕草で、この人物を特定するのが正しいのではないか、と感じとると目撃証人はその人物を指してしまう。たとえ該当人物が無罪であっても。

面通し改革は9年前に始まったもので、改革されてから無実の人が名指しされる率が下がったかどうかはそれ以前の調査結果がないので判然としないが、現場の刑事は、無実の人が名指しされる数は減っているだろうと感じている。

日本でも無罪となった死刑囚の方々の中には、目撃証人が名指したことで犯人とされてしまった例もある。裁判制度が改革されたが、司法制度全般にも目を向ける必要があるかもしれない。

2011-07-05

元ホームレスが変えるホームレスへの偏見[NPR]


Oriinal Title: Ex-Homeless Speak Out To Change Perceptions

元ホームレスの人たちが、ホームレスへの偏見をなくすために、様々なグループで体験談を話している話。

講演者となる元ホームレスは、全米ホームレス連合の講演部門に属する350人の元ホームレス。宗教グループ、大学、官庁などに派遣され、ホームレスへの偏見をなくすための活動を行っている。医学部でも、救急医療室によく運び込まれてくるホームレス患者との接し方についてレクチャーしている。講演謝礼は40ドル。

この記事に登場する元ホームレスは二人。一人は「ホームレスへの道は忍び寄ってくる」と言っている。一般的な家庭で育ち、いい仕事に就いていたが、会社の合併で失業。大卒資格がなかったことと、保険に入っていなかったことなどの不幸な出来事が重なりホームレスになってしまった。

もう一人は、養父母に育てられ16才の時に家から出された途端にホームレスになり、30年もの間各地を転々としながら生きてきた。アラスカ州以外のすべての州でホームレスとして住んだことがある、と言っている。8年位前に非営利団体の助けを得て、今は健康な生活を送れるようになった。住む所があり、ジャンクメールさえ届く。「社会の一員になった気がする」と言っている。

元ホームレスたちが言っているのは、誰でもホームレスになる可能性はあるのだから、ホームレスに明るい言葉をかけてやってくれ、ということ。

ビッグイシューに販売員紹介のコーナーがあって、ホームレスになるまでの人生が語られているのだけれど、親が精神的に健康的に弱かったりする例が多いように思う。真面目に投げやりにならずに一心に生きるということだけで、周囲に良い影響を与えるのは本当ですね。他人に対しても前向きな気持ちを向ければ、微力ながらもよい影響を与えると思っています。

2011-07-03

ブータン人の食事 [GOOD FOOD]


Original Title: Bhutan

ブータンでラジオ局を始めた人による、ブータン人の食事の話。

この人はこの3年位ブータンへ旅しているのだけれど、ブータンの食事はそんなにおいしくない、と言っている。有名な郷土料理は、唐辛子とチーズを煮込んだアマダチというシチュー。唐辛子をスパイスとしてではなく野菜として扱っているよう。チーズはヤク乳から作るチーズ。

ブータンでは唐辛子を大量に使うが、いつ頃どんな経緯で唐辛子がもたらされたのかはよくわからないらしい。しかし、ブータン料理の辛さは桁外れ。これまでの辛いという感覚の20倍は辛い、と言っている。

唐辛子は家の屋根で干しているのだけれど、最近は衛星テレビのアンテナが唐辛子の干し場になっているらしい。あのお椀形のアンテナは干し場として最適ですね。

ブータン人はアマダチを1日3食食べているから、食事は朝昼晩同じ料理を食べるものだと思っているよう。アメリカに来ているブータン人は、アメリカ人はハンバーガーを1日3食食べていると思っているらしく、本人たちもアメリカではハンバーガーとアマダチを1日3食食べているとのこと。

最近イトイさんがブータンを旅行されましたが、そういえば食事のことについてはあまり話してなかったような......。

2011-07-02

華麗なる賭け [ノーマン・ジュイソン監督]


これはオトナのラブストーリーだったんだ。

銀行強盗を計画して自分が雇ったチームに実行させ成功を収めた大富豪。盗まれた金を取り戻すべく調査を開始した保険調査員の女性は、真相を告白させて金を取り戻すために大富豪に近付くが本気で恋をしてしまう。そして大富豪の方も保険調査員の女性に興味をそそられて付き合ううちに気持ちが動き始める。

大富豪の恋だから何かとお膳立てが豪華。砂浜をバギーカーで走ったり、高級レストランで食事、豪邸でのチェス。フェィ・ダナウェイ演じる保険調査員はフリーランスでかなり稼いでいるのか、衣装が豪華だ。ミニスカートに白っぽいストッキング、というのは60年代ぽい。

大富豪はもう一度銀行強盗を計画、実行に移す。それを保険調査員の女性に知らせて、恋を取るか仕事を取るか、選択を委ねる。恋か仕事か、当時の働く女性の究極の選択だ。この究極の選択を描くために、こんな豪華でスリリングな舞台を設定したのだろうか。

豪邸でのチェスのシーンがロマンチック。しかし、駒を動かすスティーブ・マックィーンの爪先はちょっと汚れていた。これは叩き上げの成功者という意味なのか、演出のツメが甘かったのか。

この映画のフエィ・ダナウェイも素敵だけれど、どうしても「チャイナタウン」が思い出される。ジャック・ニコルソンに頬を叩かれて「娘よ、妹よ、娘よ....」と繰り返すシーン。フェイ・ダナウェイは、働く強い女性のイメージを最初にハリウッドにもたらしたと思う。

1968年制作。漫画のようにコマ割されたシーンが多用されていて実験映画の雰囲気がある。原題の"The Thomas Crown Affair"のAffairは、トーマス・クラウンの恋と事件をかけているのか。今わかった。

2011-06-27

ニューヨーク州、同性結婚を認める6番目の州になる [NPR]


Original Title; In New York, A Celebration Of Gay-Marriage Law

ニューヨーク州が同性結婚を認める全米6番目の州になった。これを祝って6月26日にニューヨーク五番街をミッドタウンからグリニッチ・ビレッジまで、数千人がパレードした。同性愛者だけでなく、異性カップルとその子どもたちも参加して、同性カップルの友人たちが正式に結婚できるのを祝った。

パレードに参加した活動家の中には、連邦政府が同性結婚を認めるまで活動は続けなくては、と考えている人もいる。

ニューヨーク州の同性結婚法は7月23日に施行された。この日の午前零時に結婚式を挙げた同性カップルは多数いるよう。NPRは7月24日の記事でナイアガラ滝で挙式した50代の女性カップルを取り上げている。

ハーバード白熱教室のサンデル教授は講義で、裁判所は同性結婚を、「公式な承認という形で結婚を名誉あるものとして祝福し、肯定している」と述べている。ニューヨーク州のすべての成人が"パートナーに対する恒久的な約束"を公式に認められることになり、おめでとう。けれど、どんな形であれ、恒久的な約束を取り交わせるパートナーと共に生きている、ということがすでに名誉な、祝福されていることだと思います。どのような形であれ。

2011-06-26

情婦 [ビリー・ワイルダー監督]


マレーネ・ディートリッヒの横顔が美しい。

人間の、というか女の弱さ、強さ、醜さ、美しさ、愚かさ、傲慢さ、すべての感情が詰まっている。それは原作者アガサ・クリスティが描き出したものなのだけれど、トリックの背景として女のドラマを置いたのか、女のドラマを描くためにトリックを作り出したのか。

老弁護士を演じたチャールズ・ロートンが素晴らしい。厳格で、権威的で、強情で、しかし人情とユーモアとかわいらしさを感じさせる。弁護士事務所のスタッフがロートン演じる弁護士を迎え入れる冒頭シーンの嬉しそうな様子は、この人物が本当に尊敬され愛されていることを表しているけれど、ロートン自身が納得できるように演じている。

この映画について語るとどうしてもネタばれになってしまうのだけれど、いつもラストシーンに老弁護士とお節介看護婦の恋の始まりを感じるのですよね。

1957年制作。


<以下、ネタバレの上での感想>



タイロン・パワー演じる容疑者ボールが、老弁護士の反射光によるテストに難なく合格して、弁護を担当してもらうのだけれど、光を当てられた目は義眼だった、というオチがあったと思う。映画にはそれはなかったが、クリスティの原作に書かれていたのだろうか。タイロン・パワーはこの映画の翌年に亡くなっていた。

マレーネ・ディートリッヒは、駅でのシーンを除いてどのシーンでもマレーネ・ディートリッヒとしてスクリーンに登場している。演じているクリスティンではなくて、マレーネ・ディートリッヒとしてしか見ることができなかった。

弁護士事務所を訪れる時、証言台に立つ時の毅然とした物腰。ベレー帽の被り方がイキだ。戦争中のベルリンの酒場で歌姫として現れる時。破られたズボンから剥き出しだ脚の美しいライン。無罪となった夫にしがみつく時の恋する女の哀れさ。裏切られたことを知った時の絶望、自暴自棄。どのシーンでもマレーネ・ディートリッヒが美しくスクリーンに映っている。マレーネ・ディートリッヒはマレーネ・ディートリッヒ以外として存在できない女優なのかとも思わされる。

だが、裁判が終わったラスト、マレーネ・ディートリッヒがどんなにすごい女優なのか、観客は思い知る。

とろ〜りスクランブルエッグの夕食 [GOOD FOOD]


Original Title: Eggs for Dinner

卵料理は朝食、と考えてしまうが、夜遅く帰宅した時など、簡単に作れる卵料理はとても助かるもの。ここでは夕食にうってつけの卵料理を紹介している。

シェフ・スクランブルエッグ。1/4カップの冷やしたバターをフライパンに入れ、卵3個分の卵液を入れて、弱火で加熱。コツは卵が透き通ってきたら冷やしたバターをさらに入れること。卵の温度を下げることでクリーミーな仕上がりになる。これにコショウを振ってサラダを添えれば立派な一品の出来上がり。

クルトン目玉焼きもなかなか豪華。フライパンにオリーブオイルをたっぷり入れ、そこにちぎったパンを投入してクルトンを作る。パンに焦げ目がついたら、卵をその上に割り入れて焼く。クルトンに黄身が絡まったところは特においしい。サラダを添えれば栄養バランスもよい。

森光子さんは卵好きで、1日に3個は食べると聞いたことがある。私も卵好きで、いつも農家に生みたて卵を買いに行ってます。

2011-06-25

伝説のコロンボ、83才で没す [NPR]


Original Title: Peter Flak, TV's Legendary 'Columbo,' Dies at 83

6月23日になくなった俳優ピーター・フォークの追悼記事。

「コロンボ刑事」以前、ピーター・フォークは数々の映画に出演し、アカデミー賞にノミネートされたこともある。ニューヨークで育ち、3才の時に癌にかかり眼球を摘出。大学卒業後は役所勤めしたが、俳優に転身。オフブロードウェイの舞台に立っていた。

コロンボ刑事を演じてからは、俳優ピーター・フォークといよりコロンボとして知られるようになった。かつてそのことについてどう思うかと聞かれて「別にガンじゃないからね」と答えている。

ピーター・フォーク追悼で、「刑事コロンボ」の何話かが日本でも再放映された。犯人役のゲスト俳優が豪華だ。実力のある役者を揃えたのもこのドラマの成功要素と思う。今回の再放映を見て、日本語版も犯人役のゲスト俳優の吹き替えに日本人の実力派俳優を配している。

日本語版は小池朝雄氏の吹き替えが絶妙で永遠の名作テレビドラマとなった。小池氏を抜擢したNHKプロデューサーの功績も大きいですね。

2011-06-24

数学のユーチューブ先生 [NPR]


Original Title: Math Videos Go From YouTube Hit To Classroom Tool

ユーチューブで配信されている数学の学習ビデオが、教育現場で活用されている話。

ヘッジファンドに勤めていたサルマン・カーンという人が、いとこの数学家庭教師をしたのをきっかけにユーチューブに数学学習のビデオをアップ。そのビデオが大人気となって、カリフォルニア州では、カーン・アカデミー(Khan Academy)の番組を高学年の数学クラスで利用する試みを始めた。カーン氏は、会社を辞めて今はフルタイムで数学学習ビデオに取り組んでいる。

生徒たちはゲーム感覚で問題に取り組んでいて、暇さえあれば数学を勉強するようになっているよう。

学校の先生たちの評判も上々。中程度に理解できる生徒たちへの指導をビデオに助けてもらうことで、先生たちはよくできる生徒とできない生徒たち時間を割くことができる。カーン・アカデミーには、先生たちのiPadに生徒の学習到達度のグラフを表示させるプログラムまである。

さっそくユーチューブでカーン・アカデミーの学習プログラムを見てみた。わかりやすい!説明は丁寧だが、展開が遅すぎることはなく、しかも数式の解き方の区切りが適切。基礎の説明からちょっとひねった応用まで説明して終わる。短すぎず、長過ぎず。英語もわかりやすいし、ちょっとユーモアを感じる。

名前からしてカーン氏はインド系のよう。インド人、本当に数学に強いのですね。正真正銘の実力と底力がある。

中学の時にこのビデオがあったら、人生は違ったものになっていたかもしれない、と思う。

2011-06-21

塀の中の刑務所大学 [NPR]


Original Title: Inside San Quentin, Inmates Go To College

カリフォルニア州の悪名高きサン・クエンティン刑務所の中に非営利団体が運営する大学が設立され、受刑者が学位を取得している話。

1996年に2人のボランティアによって始められたこの大学は、今では320人の受刑者学生が在籍し、3000人以上の地域ボランティアと100人以上のボランティア講師が、70近いプログラムを指導している。講師はUCバークレーやスタンフォード大学、サンフランシスコ州立大学などの一流校の教員。運営する非営利団体は独立した基金を持ち、行政からの資金には全く頼っていない。

受刑者が高等教育を受けることに異論はあるが、大学教育が受刑者に深く影響を与えていることはたしか。

窃盗と殺人で収監されている受刑者学生の1人は、自分たちは出口のない泡の中に閉じ込められているが、大学で学ぶことで自分自身は変わってきた、社会人として出所したい、と言っている。もし、自分がここで教育を受けなかったら、刑期を終えても犯罪者として出所することになっただろう、と。

別の受刑者学生は、学ぶ場があるのは受刑者にとってとても意味がある。することがなかったら暴力に走るしかないからだ、と言っている。

たしかに、刑務所大学ができてから、サン・クエンティンでの受刑者の服役態度は改善され、騒動がなくなってきたし、出所者の再犯率も低下しているよう。サン・クエンティンは今では静かなる刑務所となっている。

受刑者が犯罪者となったのは、貧困ゆえの低学歴、失業が大きな要因であり、それは次の世代へと引き継がれている。受刑者の子どもの半分は親同様に刑務所行きだ。運営団体は、刑務所大学が負の連鎖を断ち切るようになれば、と考えている。

更生プログラムの予算を60%も削減した州政府も、サン・クェンティンの刑務所大学の動向を注視しているよう。

自分は泡の中に閉じ込められている、と気付いた時点で、壁に穴は開いているのですよね。それは受刑者だけでなく、誰にとっても同じだと思う。

サン・クエンティンの受刑者学生は、もし育った環境が異なっていたら犯罪者にはならなかった人たちなのではないか。そんな人たちがサン・クエンティンだけで320人もいるということは、アメリカの社会自体が国民を犯罪に走らせているように思える。

2011-06-14

十二人の怒れる男 [シドニー・ルメット監督]


三谷幸喜氏がいつも絶賛しているので観ることに。素晴らしい!スバラシイ!!すばらしい映画だ!!!!!

12人の陪審員が、父親殺しの容疑をかけられた移民少年の審議をするという話。ほとんどのシーンが審議室という閉鎖された空間。ヘンリー・フォンダ演じる陪審員8番が、少年は本当に有罪だろうか、と疑問を呈するところからストーリーが転がり始める。

犯行再現シーンは全くないが、俳優達の演技が素晴らしく、本を読んでいるように、犯行現場がまざまざと目に浮かんでくる。"場"は変わらないのに緊張感が途切れない、というか真相に近づくにつれてどんどん緊張感が増してくる。

12人の男たちの台詞が映画を進行させているわけだけれど、この台詞にアメリカ社会が抱える、アメリカ人男性が抱える問題が露わになっている。罪を問われているのは容疑者なのに、陪審員のうちの何人かは心の中に抱える闇を糾弾されているかのように自分を追い詰めていく。

カメラワーク、音楽も素晴らしい。すべてが計算し尽くされている。何度観ても新たな発見があって、色々な角度で楽しめる映画だ。これは孤島に持って行く映画ですね。

2011-06-12

アメリカ合衆国の飢餓人口 [GOOD FOOD]


Original Title: No Kid Hungry

アメリカ合衆国から飢餓をなくす活動をしている非営利団体の活動の話。

今年3月に、4000人が参加する全米規模の断食が行われた。これは上院に対して飢餓対策の予算削減を見直すようアピールするイベントだったのだが、結局貧困層の飢餓対策から25億ドルが削減された。

アメリカの飢餓人口は約5千万人、そのうち1700万人が子どもで、4人に1人の子どもが飢えていることになる。

しかし番組の話を聞いていると、連邦政府から飢餓対策に10億ドルが拠出されており、とりあえず予算は足りているよう。問題は、対象者と救済プログラムの間に障害があって、利用されないままであることらしい。たとえば、学校が朝食給食サービスを提供していても、貧困層の子どもたちは学校までの交通手段がないので、やっと学校に着いた時には朝食サービスが終わっているとか。サービスは貧困層のために実施されているから、利用しているのを知られるのは恥ずかしいとか。

この非営利団体は、対象者とプログラムの間にある障害を取り除く活動を積極的に進めていて、その一つとして朝食を教室で食べるプログラムを実施。朝食を摂ることで、子どもたちの試験の点数があがり、病気にもかかりにくくなったとのこと。

大都市ほど飢餓人口は多いよう。

コーヒーじゃないコーヒー [GOOD FOOD]


Original Title: Coffee Alternatives

コーヒー豆ではないものから作るコーヒーについての話。

コーヒーは、コーヒーの実の種を焙煎し、それを挽いたものにお湯を注いで作るが、コーヒーの実の果肉でもコーヒーをいれることができるよう。果肉部分を干したものはカスカーラと呼ばれ、お茶のようにお湯の中にしばらく置いてからカップに注ぐ。コーヒーの味わいに加えてチェリーやリンゴのような風味もあるとのこと。

コーヒー産地の人々は昔から果肉をカスカーラにして飲んでいたけれど、殆どの果肉は捨てられていた。廃棄物を利用してもっと利益を出そう、ということもあって、最近カスカーラ茶はあちこちで市販されるようになっている。カスカーラにもカフェインは含まれている。

他に有名なコーヒーでないコーヒーといえばタンポポ。愛媛県松山市にある伊丹十三記念館のカフェでタンポポコーヒーを飲んだことがある。風味と色はまさにコーヒーだがタンポポコーヒーはカフェインは含まない。しかし「世界を変えた6つの飲み物」によれば、カフェインを含むから人々はコーヒーを嗜好してきた。

番組ではチコリコーヒーの話も出た。普通のコーヒーにチコリを加えたもの。米南部ニューオーリンズでよく飲まれている。その昔コーヒーが品不足だった時に代替品として使われたのが始まりだそう。しかいチコリコーヒーはスパイシーな独特の香りと味わいがある。リンカーン大統領がニューオーリンズを訪れた時のエピソード。ホテルにあるすべてのチコリを集めさせ、このほかにチコリはないね、ということを確認してから大統領は「では、コーヒーをいれてくれ」と言ったという。

2011-06-11

南三陸町ボランティア


南三陸町へボランティアに行ってきました。

9日(木)午前7時に北千住を出発。宮城県南三陸町のボランティアセンターに到着したのは午後1時半頃でした。ボランティアセンターで受付をした後、この日は写真洗浄に従事。午後4時頃作業を終え、テント設営、お風呂、夕食。午後9時前には就寝。この日の午後11時頃、激しい雷雨!!!

10日(金)は午前9時にボランティアセンターへ出勤(?)。写真洗浄ではなく、志津川高校の体育館で支援物資の仕分けに従事。子ども靴をサイズ別に仕分けしました。午後4時に作業終了。テントに戻ってお風呂、夕食。午後9時には就寝。ちなみにお風呂は熊本自衛隊による「火の国の湯」。無料です。のれんをくぐって中に入るとすぐに脱衣場、その奥に浴槽。浴槽の回りは洗い場で、浴槽から湯を汲んで髪を洗いました。

11日(土)。未明から激しい雨!!!テントが雨漏り、水浸し状態。午前8時半頃ボランティアセンターに出勤。土曜日とあってボランティアの人数が一番多くて、事務局によるとこの日は130人位来ているとのこと。ガテン系の仕事をしたいという希望が聞き入れられ、馬場中山生活センターでのガレキの分別収集に従事。雨は午後には止み、快晴!

作業は午後4時頃終了。午後5時頃テントを撤収し、「火の国の湯」に入って汗を流してから、帰京の途に着きました。出発が遅かったので、東京着は翌日12日。

何でも行ってみて、見てみるもんだ、と思いました。ただしボランティアは謙虚な気持ちで。今回一番印象に残ったのは「職業ボランティア」という存在がある、ということ。一番考えさせられてます。