2013-05-25

モネ・ゲーム [マイケル・ホフマン監督]


コリン・ファース、アラン・リックマン、キャメロン・ディアス出演。脚本はコーエン兄弟だが、監督はマイケル・ホフマン。

美術鑑定家のハリーは、彼をこき使う雇い主である富豪のメディア王に一泡吹かせてやろうと贋作を売りつけるプランを立てる。その贋作は、モネの幻の作品。ナチスドイツに侵攻したアメリカ軍の軍曹が密かに自宅に持ち帰った、という噂がある。トレーラーハウスに住む軍曹の孫娘を金で釣ってイギリスへ呼び寄せ、騙しのプラン実行のはずが....。

ハリー・ポッターシリーズでシリアスな悪役を演じていたアラン・リックマンがコメディを演じるというのと、コン・ゲーム映画が好きなので観ることに。

さすがにシナリオはよく出来ている。ネタバレになるけれど、美術鑑定家ハリーの本当の目的は贋作を売りつけることではないのです。最後にアッと驚く上に、ハリーの計画は無事成功。というわけで見終わってニヤリと明るい気分になる映画。

キャメロン・ディアスはいつまでもナイスバディを維持していてすごいや。見習わなければ。

アイアンマン3 [シェーン・ブラック監督]


アイアンマンの3作目。

アクションとドラマとミステリのテンコ盛りといった感じ。

アイアンマン1と同じく、傲慢時代のトニー・スタークが登場、それから正義の味方としてのトニー・スタークの苦悩も描かれている。

でも、やっぱりアイアンマン1が一番人間ドラマを描いていて面白いと思う。徒手空拳のトニー・スタークがアイアンマンの原型を作り人間性に目覚める前半。無敵のアイアンマンが戦う派手なアクションの後半。ペッパー・ポッツとトニー・スタークの上司部下関係以上恋愛未満のロマンスなど。

しかしここまで見続けているから、アイアンマン4も見に行こうと思う。2016年公開予定らしい。

2013-05-15

レイダース/失われたアーク《聖櫃》 [スティーブン・スピルバーグ監督]


映画館で観たのは、公開時以来。しかしビデオ(!)を持っているので、もう10回以上は観ている。が、やっぱり面白い!!

公開時に観た時の印象は、こんなに贅沢に冒険が続く映画があっていいのか!ということ。冒頭でいきなり冒険がクライマックスに達しているのだもの。宝のありかに辿り着き、手に汗握る罠が次々と現れ、命からがら逃げ切るシーンの連続。それまでの冒険映画なら冒険のクライマックスは映画の最後に登場してエンドマークが出るところだ。この、冒頭からいきなりクライマックス、というパターンは「レイダース」から始まったのかもしれない。ダニエル・クレイグ007シリーズは全部、冒頭からいきなりクライマックスだ。

レイダースのメイキングビデオも持っていて、本編のビデオの後には必ず観ていた。それで今回映画館で観ている間、このシーンのスタントは...とか、このシーンの演出は...とかを思い出していた。マリオンを乗せたトラックが爆発するシーン、ドイツ軍のトラックを奪取するシーンなど。それからマリオンがミイラに囲まれて絶叫するシーンをスピルバーグ監督が自ら実演して演出していたこととか。

「魔宮の伝説」「最後の聖戦」「クリスタルスカルの王国」とシリーズは続いていくわけだけれど、「クリスタルスカル--」と「レイダース」のエピソードがつながるのがファンとしてはすごく嬉しかった。こんなに贅沢な冒険映画が!と衝撃を受けた「レイダース」の聖櫃がすごく邪険に扱われていて、レイダースを超える面白さだよ、と言っているかのようだった。

インディ・ジョーンズシリーズは本当に好きで、レイダースのポスターも持っているし、愛犬にインディと名付けた。

2013-05-06

「お茶事」をしてみませんか-正午から口切まで15のかたち [小沢宗誠著]


茶道の様々な接待について解説している。

読んで勉強になった。今まで茶道は、かしこまって座って出されたお茶を器を吟味してから飲んでかしこまって器を返すものだと思っていた。でもこれを読んで、茶道とはいかに客を"おもてなし"、客がいかにおもてなしを受けるかを学ぶことなのだ、ということがわかった。

「本覚坊遺文」や「利休にたずねよ」を読んで、"お茶"は戦国時代の明日をもしれぬ命同士が対する濃い情の交換の場だったのだ、ということを知ったが、太平の世にあっても"お茶"は人と人との濃い心の交流を演出する場のようだ。

毎月の季節に合わせたもてなしの演出とその作法について解説している。朝ごはんをふるまう"茶"、名水をふるまう"茶"、新米を炊いてもてなす"茶"、夜咄を楽しむ"茶"。しかも、茶室ではなく洋室の椅子とテーブルでもてなす"茶"についても提案している。

お茶の流れがだいたいわかった。お客が揃うまで待合に腰掛けて待ってもらい、主人が迎え、蹲で手を洗い、茶室へご案内。ここで炭を拝見して、懐石料理をふるまう。向付、煮物、焼き物、小吸物、八寸、香の物。その間にお酒も出す。そして湯斗、主菓子。お茶を出す前に主人が茶室のしつらいを変えるので、その間お客にはまた待合に戻ってもらう。お客に茶室に戻ってもらい、濃茶、後炭、薄茶、干菓子でもてなしが終わる。

客をどうやってもてなしたらよいかは頭を悩ますところだし、客としてもいつ暇を告げたらよいか間合いを図るのが厄介だ。でもお茶事の作法を知っていたら、余計な気を回すことなくもてなし、もてなされることができる。

これはハードボイルドの世界だ、と思った。お着物のおばさま方より、袴をはいた男性の方が"茶"の場が引き立つ感じがする。

最後の章で井伊直弼の「茶湯一会集」の紹介をしている。客が帰った後の"独座観念"に感銘を受けた。
今日一期一会省みて、再び帰らざる事を観念し、あるいは独服いたす事、これ一会の極意の習い也。この時寂莫としてうち語らうものとては、釜一口のみにして、ほかに物なし。誠に自得せざれば至り難き境界なり
これだけ感銘を受けたものの、「お茶事」の読み方が、おちゃごと、なのか、おちゃじ、なのかはたまた、おさじ、なのかがわからないままです。