2011-09-29

図書館の死体 [ジェフ・アボット著]


田舎町の図書館で他殺体が発見される。発見者の若き図書館長は前日に被害者と口論していたため、容疑者とみなされてしまう。容疑を晴らすため捜査を始めると、退屈な町の住民の知られざる顔が次々と現れ、晴天の霹靂の衝撃事実が!

アガサ・クリスティの世界だ。田舎町で殺人事件。しかも、犯罪とは全く無関係に見える場所で遺体が発見される。そして捜査で浮かび上がる住民の秘密の数々。最後に関係者が集まって探偵が真犯人を名指しする、というシーンはないのだけれど、まさしくクリスティの世界。と思ったら、1995年にアガサ賞を受賞していた。

本格推理物では、探偵が関係者たちから証言を集める段階がちょっとだれてしまうことがあるのだけれど、この作品の場合、アメリカ的ノリの軽さとジョークで面白く読み進んでしまった。マンガっぽい表現が多かった。例えば挨拶の握手をする時、「井戸水を汲みあげる昔のポンプの取っ手でも動かすように、大きく上下に振った」とか、被害者の意外な一面を知って「あやうく顎をはずしそうになるのをまぬがれ、顎の先を床にこすらずにすんだ」とか。

でも、構成はしっかりしていて真相に破綻がない。ちゃんと伏線が張られていて、あっと驚く秘密の暴露も納得。

この前に読んだ「何かが道をやってくる」も図書館が主要舞台の一つだったので、自分的には図書館つながりの不思議な縁を感じた。

2011-09-25

アメリカの韓国料理研究家の数奇な人生 [GOOD FOOD]


Original Title: Kimchi Chronicles

韓国料理番組を持っている韓国料理研究家が番組タイトルと同じ本を出版。料理研究家本人も、出自から現在に至るまで本になるような人生を送って来た。

公共テレビ放送局が放送している「 キムチ年代記(Kimchi Chronicles)」というタイトルの料理番組は、色々な韓国料理を紹介して韓国料理の普及に貢献しているよう。ホストの韓国料理研究家は、恐らくまだ30代だと思うけれど、きれいな女性。インド系か、ヒスパニック系のアメリカ人に見える。

本人は実は黒人GIと韓国人女性の間の子として1970年代に韓国で生まれた。彼女が生まれる前に父親は帰国してしまい、つまり母子は取り残されてしまったわけだけれど、1970年代の韓国社会は混血児、特に黒人の血を引く子どもとその生み親に対して全く寛容ではなく、母親は3才まで彼女を育てたが、あまりに経済的に苦しくてこれ以上自分は育てられないと、彼女を養子に出した。

彼女を引き取ったのはアフリカ系アメリカ人の夫婦。以来、彼女は米東岸のバージニア州で育った。養父母は勤勉で善良な人たちだったようで、子どもが大人になった時に自分の実母とめぐり会えるようにと、すべての書類をきちんと保存しておいてくれていた。

そして彼女は大学を卒業した時に、当時ニューヨークに移り住んでいた実母と再会した。それからは実母とよく行き来するようになり、韓国料理に親しむうち、韓国料理研究家となった。

3才からアメリカ人として育ったけれども、彼女は韓国でのことを忘れたことはなかった。再会した実母が、彼女が子どものころ食べていた料理を作ってくれ、それを食べた時に3才までの記憶、匂い、音、景色が鮮やかに甦って来たと言っている。

3才頃の味覚というのは強烈に記憶に残っていて忘れがたいものがある。3才の頃、ねじりパンが大好きだった。今はツイストという名前で売られている揚げパンというかドーナツ。パン屋に置いてあると必ず買うのだけれど、子どもの時に食べたあのおいしさに再会したことがない。

2011-09-22

何かが道をやってくる [レイ・ブラッドベリ著]


ハロウィーンの10月。小さな町にやって来た奇妙なカーニバル団を巡る、2人の少年と一人の父親の冒険物語。

印象に残る、人生を鋭く切り取った文章が散りばめられていて、ところどころで「詩」ではないかと思った。

物語の始めに少年二人は、避雷針売りと出会う。印象的な出だしなのだけれど、このシーンの前のプロローグでブラッドベリは有名な一文を記している。「そして、彼らが一夜のうちにおとなになり、もはや永久に子供でなくなってしまったのは、その十月の、ある週のことであった」

主人公はジム・ナイトシェイドとウィル・ハロウェイ。そしてウィルの父親。町の図書館の館長でもある。少年たちは14才を目前にしているが、ウィルの父親は54才。人生を始めようとしている少年と人生が終わりにさしかかっている大人が、怪しいカーニバル団との関わりの中で"今を生きる"、ということを考えていく。

もし学生の時に読んだら少年達に感情移入したと思うが、今回はどうしてもウィルの父親に添って読んでしまった。ラスト近くにまた印象に残る文章がある。「死はそれほど重要なことなのだろうか。いや、重要なのは、死の前に起こるすべてのことなのだ。」

2011-09-14

ドラゴン・タトゥーの女 [スティーグ・ラーソン著]


壮大で深く、謎に引き込まれる作品。しかもメッセージがある。そして、発行前に著者が50才の若さで急逝したのもこの作品をいわくつきのものにしている。

物語の構成は少し複雑。日本語版の場合、上巻では、ジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストとパンク少女の保険調査員リスベット・サランデルの話が平行して描かれる。ブルムクヴィストは、巨悪企業のスキャンダルを記事にして逆に名誉毀損で有罪判決を受ける。が、彼のあきらめない調査姿勢を買った大富豪から、40年前に起こった姪の失踪事件の調査を依頼される。一方で作者は、社会とうまく折り合いを付けて生きていくのが苦手なリスベットの生活を通して、社会的弱者が置かれている状況についても描いている。

下巻でブルムクヴィストとリスベットが出会い、一緒に失踪人調査を進める。事件は意外な方向へ進み、二人に危機が迫る。ミステリーとしての面白さを十分堪能できるのだが、作者はここで話を終わらせず、現在のスウェーデンが抱える問題に対してメッセージを突きつけるところまで書き進めている。原題は「女を憎む男たち」。この作品のメッセージの一つを表わしていると思う。

40年前の事件を今更調査しても、新たな証拠が出るはずがない、と思いきや、21世紀のテクノロジーがあってこそ浮かび上がってきた事実があり、主人公たちは一気に真相に近づいていく。

スウェーデン人作家の名作といえば、マイ・シューバル/ペール・ヴァールーのマルティン・ベックシリーズ、リンドグレーンの長靴下のピッピシリーズなどがあるけれど、この作品にはそれらへのオマージュではないかと思える部分が多数あり、マルティン・ベックシリーズやリンドグレーンに親しんだ者として読んでいて楽しかった。主役2人は、リンドグレーンのピッピとカッレくんをイメージして作られたらしい、と上巻の訳者あとがきに書かれている。

ところで、作品中にメールアドレスなどがはっきり明記されていて、現実に差し障りないのだろうか、と思ってしまった。それから、スウェーデンといえばフリーセックスの国、というイメージもあるのだけれど、やっぱりそうなのか、と思うところもあった。食事のシーンがいくつかあって、レバーペーストのサンドイッチをよく食べている。レバーペースト。懐かしい。食べたくなってしまった。

スウェーデンではすでに映画が制作されヒットしたとのこと。ハリウッド版が2011年11月に公開される。主役のミカエル・ブルムクヴィストはダニエル・クレイグ。予告編を見る限り、かなり原作に忠実のよう。MGMがこれで資金を稼ぎ、ダニエル・クレイグの契約で残っている最後の1作の007シリーズを制作してほしいところ。

2011-09-05

紐と十字架 [イアン・ランキン著]

エジンバラを舞台にした警察小説、リーバス警部シリーズの記念すべき第一作。この作品ではリーバスはまだ部長刑事。

陸軍のSAS部隊を除隊した元軍人のリーバスは警察に再就職し、叩き上げのデカとしてキャリアを積んでいるが、軍隊時代の悪夢に悩まされている。エジンバラでは少女連続殺人事件が町を騒がせていた。

この「紐と十字架」も、物語が進むにつれて男2人の対比と対決という構図になってくる。しかも、2人の過去が事件の発端。この本の直前に読んだエルロイの「血まみれの月」と似ているなぁ、と思ったら、解説に、作者のイアン・ランキンは、エルロイの影響を受けている、とインタビューで語っているとのこと。

この第一作でシリーズの中で語られているエピソードの出所がわかったけれど、日本では3作から7作までが未訳のよう。リーバスが勲章を授章したというエピソードを読んでみたいし、シボーンはいつから登場するのか。シリーズはまだまだ続いているので、新作も読まなければ。