2011-12-15

伊丹十三の映画 [「考える人」編集部編]


三谷さんの「監督だもの」を読んだので、以前に買ったままだったこの本を読むことに。

おもしろい。非常に興味深く熱中して読んだ。

伊丹映画の関係者、プロデューサー、俳優、撮影監督、助監督、美術、メイク、スタイリスト、フードコーディネーター、制作、翻訳、通訳ほか様々なスタッフの談話と、心理学者岸田秀先生による伊丹映画の解説、最後に宮本信子さんから伊丹監督への手紙で構成されている。

これを読んで、伊丹十三が映画監督になったことが日本映画の分岐点になったのかということがわかった。

例えば、監督が撮影中にモニターを見ること。渡辺哲氏が、北野監督は撮影中モニターばっかり見て自分を見ないから嫌われているのかと思った、と言っていたが、今では当たり前になっている監督が撮影中にモニターを見ることは伊丹氏が始めたことだった。

それから、映画中の食べ物を小道具担当ではなくフードコーディネーターが用意するということ。伊丹監督がいなかったら女の子のカルト映画「かもめ食堂」はなかったかもしれない。

俳優の人たちは概ね伊丹監督に好意を寄せている。決して大声をあげることがなかったとのこと。みなさん思い入れを熱く長く語っているなかで、大滝秀治氏のページだけがたった7行。伊丹監督が言ったという、リハーサルは表現のブレを一本の線に安定させるためなのです、という言葉が印象に残る。

他に強く印象に残っているのは、岸田先生の伊丹映画の解説。「お葬式」で父を乗り越え、「タンポポ」で父と拮抗する力を得るまでに成長し、「マルサの女」で父から離れて社会正義を追求するようになった、と伊丹監督の映画から父に対する確執の変遷を読み解いている。

それにしても、自分が思い描く通りの映画を作るために自分に妥協することなく、他者にも容赦なく理解を求める強さに感銘を受ける。信念を強く持つ、というのはこういうことなのか。わがままに振り回されていると感じても、結局スタッフの人たちは伊丹監督に尊敬の念を抱いている。

この本を読んで、三谷さんは本当に伊丹監督と親しかったんだ、ということがわかった。

この本は、京都一乗寺の書店、恵文社で購入したもの。その意味でも大切な本です。