2011-03-22

ブラタモリ的ニューヨーク [NPR]


Original Title: Tracing Development Of Manhattan Block

ニューヨークのソーホー地区の変遷についての話。ニューヨーク大学の経済学教授が、浮き沈みの激しいこのブロックの歴史について本を著わした。ソーホー地区はマンハッタン島の南端部分。

かつてこの辺りは森の中にある湿地帯で、デラウェア族の居住地だった。オランダ人がやって来てここが良港であることを知り、1608年から入植して農業や酪農を始めた。

1822年、マンハッタン島に黄熱病が流行すると、島中央部の町に住んでいた金持ちたちが感染を免れるためこの辺りに移住してきた。立派なお屋敷が次々と建ち、一躍高級住宅地となる。が、それも1860年頃まで。この地区のガラがだんだん悪くなり、金持ちたちは出て行ってしまう。残されたお屋敷は次々とある商売に転用されていった。つまり、売春宿。

赤線地帯となったソーホーだが、南北戦争が勃発。戦争が終わった頃、事業家たちはこの地区が商売に適していることに気付き、鉄道を近くに引いて倉庫や工場を建て始めた。1880年頃のこと。当時の工場の広告が今も倉庫の壁に残っている。

第二次大戦が終わるまで、ソーホーは工場・倉庫地帯だったが、戦後、事業家たちは事業を郊外へ移転させてしまう。倉庫と工場だけが残り、1960年代になると人が住めるような場所ではなくなった。そこへ一人の芸術家がやって来て倉庫の一つに不法に住み着いた。水道も電気もないけれど、お金をかけずに暮らせるので、他の芸術家たちもどんどんやってきて住むようになる。

人が住むのは違法なので、芸術家たちはスタジオと呼んで摘発から逃れていた。時々警官が見回りにやってきたが、ヌードモデルを描いてる、と言って入れないようにしていたそう。

芸術家人口が増えたので、ギャラリーがいくつもできて、アートの町というイメージが定着。有名ブランドがショップを開くようになり、有名ブランドの商品を買うお金持ちが住むようになり、今やロフトの値段が300万ドルの超高級住宅地となっている。約3億円。

一区画にこんなに変化に富んだ歴史があるとは。街並みに隠されている歴史の痕跡を見つけ出すのは、ブラタモリ以来流行っているような気がする。刻々と変化するのも面白いが、なるべく静かに変わらず暮らしていきたいと、最近は強く思う。