読んだ本と、映画館で観た映画の記録をつけています。
おもしろかったポッドキャストの記事の紹介も。ポッドキャストは、NPR:Story of the DayとKCRW:GOOD FOODから。
コピー&ペースト等転載はお断りします。
2012-10-28
とり・みきの映画吹替王 [とりみき著]
今や貴重な資料だ。とりさん、よくぞこの本を作ってくれました。広川さん、那智様、納谷さんのお話しを読むことができる。
子どもの頃、テレビの吹き替え版映画で映画の面白さを知った。俳優本人の声も含めての演技であり映画そのものなのだ、という意見もあるけれど、やっぱり内容がよくわかった方が面白い。それに、今の声優ブーム、というか世間の声優好きは、この吹き替えのおかげではないかと思う。すごく魅力的な世界を繰り広げてくれたからこそ、声だけの演技に多くの人たちが魅了されたのではないかと思う。でも声優の方々は、声優じゃないんだ、役者なんだ、という自負を持っていらっしゃる。本当に、みなさんの一つ一つの仕事にかける真剣さが映画を面白くしたと思う。
吹き替えの方法に、同時録りと別録りがあることを知った。ハリウッドアニメは別録りとのこと。役者が一人でブースに入って、自分の役の台詞だけを吹き込む。演技の上では相手役の声優とまったく絡まない。でも画面では複数のキャラクターが絡んでいる。若山弦蔵さんは別録り派とのこと。アテレコはスクリーンで演じている俳優にいかに合わせるかであって、共演者との絡みは考えなくていいのだ、という。しかしこういった別録り派は少数で、羽佐間さん、広川さんは、芝居は共演者間のリアクションで良くなっていくのだという考え。たとえそれが洋画のアテレコであっても。
羽佐間さんの「若手に対して「だめなんだよ」と言う人は昔からたくさんいるんですよ。いつの時代でも。でも本当に大事なのは「若手から盗む」ことなんです」という言葉が印象深い。どの業界でもいえることだと思うし、若手から盗む気合いのあるベテランこそが生涯現役として活躍できるのではないかと思う。
再放送の報酬についての労働争議についての記事も掲載されている。華やか(?)な声優業界の先達の苦労を知ることができ、本当にこの本は貴重だと思う。
むか〜し、FM TOKYOでサントリーがスポンサーの番組があり、そのCMは名画の一場面をウィスキーに関連付けて吹き替えした声優が演じていた。カサブランカ、パリの恋人など。その声優の声を聞くだけで映画のシーンが脳裏に甦ったものだった。
2012-09-22
旅する胃袋 [篠藤ゆり著]
この本を読んで旅心を刺激されタイへ行ってきた、という知り合いの話を聞き、読むことに。
篠藤さんが旅したバンコク、インド、中国東北地方、カラコルム・ハイウェイ、チベット、ラダック、タイの山岳民族の村、ブラジルアマゾンの河港の町、ミャンマー、モロッコでの出来事がその地での食事を中心に語られている。
篠藤さんほど大胆かつディープではないが、私も旅をしてきた。冒頭のバンコクの市場の描写に1997年に初めてバンコクを訪れた時のことがまざまざと思い出された。バックパッカーの旅行記は読まないのだけれど、この本にはとても共感した。
「この地に生まれ、死ぬまでこの地を離れることなく生きていく人たちとは、住む世界が違う。もちろんかく言う私も、しょせん呑気に旅ができる身分の人間である。せめてそのことを、しっかり肝に銘じておきたいと、私は思う」
特に旅心を誘われたのは、カラコルム・ハイウェイの旅。高校時代、K2から戻ったばかりの広島先生の地理の授業で、恐らくカラコルム・ハイウェイの写真をスライド上映してくれた。当時は欧米文化に憧れる年頃だったので、なんて地味でイナカくさい所だ、と思いつつ観ていた。今はものすごく行ってみたい場所だ。
ラジャスタンの道中記には、読んでいて心に沁みいるものがあり所々で涙ぐんでしまった。たかろうとする人、毅然と自分の責務を果たそうとする人、良心に従って生きている人。同郷の人に会いたいという気持ち。
なぜ旅をするのか。今の自分の居場所から逃れたいから、とか、知的好奇心を満たしたいからとかいうのもあるが、それを超えて、旅には人をひきつけるものがあると思う。
見たことのない、想像を超えた自然そのままの景観に身を置くこと。人の好意に触れ、異国の人たちと心を通わせること。思いがけないすべての出来事が深く心に刻まれる経験をしたいのだ。使い古された平たい言葉で言えば、感動したい。旅の記憶と感動は、お棺の中まで持っていける唯一のものだと思っている。
2012-04-18
関西文学散歩 京都・近江 [野田宇太郎著]
日本文学に登場する、または文壇に縁の深い京都とその周辺の地を訪ね、元本の文学作品やその作家たちについて語っている。「文学散歩」というジャンルは野田宇太郎が作り上げた、と言われている。
京都関連の文学作品が無数に登場し、様々なエピソードが紹介されている。文学部の教科書といえる本だ。昭和36年2月発行で旧漢字で印刷されている。"学"が"學"になっているなど。
日本文学に詳しくないので国語の教科書に登場しない作家たちについて初めて知ることが多かった。ドナルド・キーン先生が、日本文学は世界に誇れるすばらしい芸術だ、というようなことを言っているけれど、この本を読んで日本文学の奥深さ、層の厚さを知った。
東三本木に文壇関係者が常宿としていた信楽という旅館があったというエピソードも興味深い。女将は当時の政界の有力者と親密な間柄だったという。それから長田幹彦の「祇園夜話」という小説について何度も言及しているので、そのうち読んでみようと思う。
各地を訪れ各作品、各作家についてとても丁寧に語っており、貴重な資料であると思う。がんがん読み進むという本ではない。というわけで、日本文学にもうしわけないのですが、読了せずに半分過ぎたあたりで読むのをやめてしまった。
2012-01-25
FBI美術捜査官-奪われた名画を追え- [ロバート・K.ウィットマン ジョン・シフマン著]
FBIで美術窃盗事件の潜入捜査官だった著者の、自分史。
鬼平的潜入捜査とジョン・ル・カレ的官僚対立も描かれていて面白い。美術史レクチャーもあり、盛り沢山の内容。この本でも、理想の上司について書かれている。つまり、細かいことに口出しせず、自分の手柄に固執せず、部下に裁量を任せて、美術品奪還と犯人逮捕を最優先目標として仕事をする上司。たぶんそれは読者の殆ども賛成することだと思うのだけれど、なぜ自分が管理職になると正反対のタイプになってしまうのか。たぶん、自分に対する信頼と強さが欠如しているからなのでしょう。
美術品窃盗捜査は、麻薬やテロ捜査より下に見られているが、美術品がうまく回収されたニュースは華々しく新聞紙面を飾り、読者のウケがいい。人々は血生臭い事件より、心がほっとする報道の方を求めているのだ。特に盗掘品が回収されるニュースがなぜ歓迎されるのか。
盗掘は「ほかの美術品泥棒とは異なり、私たちが過去を知るよすがを奪っていくのだ。---中略---埋蔵品が盗掘されると、考古学者は背景に則した研究、すなわち歴史を実証する機会を失ってしまう」「すべての人々から盗みを働いているに等しい。」と著者は言っている。
著者の人生の転機となったのは、自動車事故。飲酒8時間後に起こした自損事故で同乗の同僚が死亡する。無罪を勝ち取るし、この事故の裁判をきっかけに潜入捜査官として必要な知識や経験を積むようになるのだけれど、私がこの本から得たことは、飲んだら乗るな、です。
鬼平的潜入捜査とジョン・ル・カレ的官僚対立も描かれていて面白い。美術史レクチャーもあり、盛り沢山の内容。この本でも、理想の上司について書かれている。つまり、細かいことに口出しせず、自分の手柄に固執せず、部下に裁量を任せて、美術品奪還と犯人逮捕を最優先目標として仕事をする上司。たぶんそれは読者の殆ども賛成することだと思うのだけれど、なぜ自分が管理職になると正反対のタイプになってしまうのか。たぶん、自分に対する信頼と強さが欠如しているからなのでしょう。
美術品窃盗捜査は、麻薬やテロ捜査より下に見られているが、美術品がうまく回収されたニュースは華々しく新聞紙面を飾り、読者のウケがいい。人々は血生臭い事件より、心がほっとする報道の方を求めているのだ。特に盗掘品が回収されるニュースがなぜ歓迎されるのか。
盗掘は「ほかの美術品泥棒とは異なり、私たちが過去を知るよすがを奪っていくのだ。---中略---埋蔵品が盗掘されると、考古学者は背景に則した研究、すなわち歴史を実証する機会を失ってしまう」「すべての人々から盗みを働いているに等しい。」と著者は言っている。
著者の人生の転機となったのは、自動車事故。飲酒8時間後に起こした自損事故で同乗の同僚が死亡する。無罪を勝ち取るし、この事故の裁判をきっかけに潜入捜査官として必要な知識や経験を積むようになるのだけれど、私がこの本から得たことは、飲んだら乗るな、です。
2011-12-20
目黒警察署物語-佐々警部補パトロール日記- [佐々淳行著]
「伊丹十三の映画」を読んでいたら、伊丹十三氏が熱中して読んだとのことなので読むことに。面白い!
警察庁のキャリア組として採用された著者が、警察学校を修了して最初に配属された目黒警察署での新人警察官としての日々を書いている。実際は1954年10月から1955年1月までの約4ヶ月間なのだが、途中、戦争中の回想が差し挟まれたり、その後の自分の経験も書いているので、戦争末期から高度経済成長期までの東京の姿が浮かび上がってくる。
警察組織の人間模様が正直に描かれている。これは警察だけでなく会社でも役所でも組織に共通するものだと思うが、キャリア組として人の上に立つことが決まっている佐々警部補が良き上司となろうと決意する様子は読んでいてほっとする。それに、実際佐々警部補は担当の外勤3班のよき管理職となって外勤勤務評定で署内最高得点を得る。
自分に対してまずは反感を持つ大勢の人たちを相手に自分の仕事を良い方へ持っていこうとするのは実に骨の折れる仕事だけれど、短期間でそれを成し遂げたのは、やはり佐々氏が優秀な人だからなのか。根本の日本社会を良くしたいという気持ちがあったから部下の人たちの気持ちを動かしたのだと思う。やはり前向きな気持ちでいることは周囲にいい影響を与えるのですね。しかし、自慢がちょっとハナにつくかな。
1955年1月で佐々警部補は外勤からデカ部屋へ転属になる。デカ部屋での続編もあるので読もうと思う。
2011-12-15
伊丹十三の映画 [「考える人」編集部編]
三谷さんの「監督だもの」を読んだので、以前に買ったままだったこの本を読むことに。
おもしろい。非常に興味深く熱中して読んだ。
伊丹映画の関係者、プロデューサー、俳優、撮影監督、助監督、美術、メイク、スタイリスト、フードコーディネーター、制作、翻訳、通訳ほか様々なスタッフの談話と、心理学者岸田秀先生による伊丹映画の解説、最後に宮本信子さんから伊丹監督への手紙で構成されている。
これを読んで、伊丹十三が映画監督になったことが日本映画の分岐点になったのかということがわかった。
例えば、監督が撮影中にモニターを見ること。渡辺哲氏が、北野監督は撮影中モニターばっかり見て自分を見ないから嫌われているのかと思った、と言っていたが、今では当たり前になっている監督が撮影中にモニターを見ることは伊丹氏が始めたことだった。
それから、映画中の食べ物を小道具担当ではなくフードコーディネーターが用意するということ。伊丹監督がいなかったら女の子のカルト映画「かもめ食堂」はなかったかもしれない。
俳優の人たちは概ね伊丹監督に好意を寄せている。決して大声をあげることがなかったとのこと。みなさん思い入れを熱く長く語っているなかで、大滝秀治氏のページだけがたった7行。伊丹監督が言ったという、リハーサルは表現のブレを一本の線に安定させるためなのです、という言葉が印象に残る。
他に強く印象に残っているのは、岸田先生の伊丹映画の解説。「お葬式」で父を乗り越え、「タンポポ」で父と拮抗する力を得るまでに成長し、「マルサの女」で父から離れて社会正義を追求するようになった、と伊丹監督の映画から父に対する確執の変遷を読み解いている。
それにしても、自分が思い描く通りの映画を作るために自分に妥協することなく、他者にも容赦なく理解を求める強さに感銘を受ける。信念を強く持つ、というのはこういうことなのか。わがままに振り回されていると感じても、結局スタッフの人たちは伊丹監督に尊敬の念を抱いている。
この本を読んで、三谷さんは本当に伊丹監督と親しかったんだ、ということがわかった。
この本は、京都一乗寺の書店、恵文社で購入したもの。その意味でも大切な本です。
2011-12-01
監督だもの-三谷幸喜の映画監督日記- [三谷幸喜話 伊藤総研構成]
映画「ステキな金縛り」のメイキング本。
企画、ロケハン、キャスティング、撮影、編集の段階毎の三谷氏の感想と関係者のコメントが並んでいる。製作裏話満載、の本。
自分が思い描いていることの実現に、他人が力を貸してくれて、本当に形にしてしまうのは、人生の醍醐味だろうと思う。
三谷氏は決して妥協することなく、自分のイメージを追求している。強い精神力だ。周囲のちょっとやる気ない顔を見ただけで「じゃ、いいや」と折れてしまうような、ぐらぐらした個性(それは自分なのだけれど)では何事も成し遂げられないはずだ。
読んでいて、これは伊丹十三監督を意識して編集されているのではないか、と思った。「マルサの女日記」と形式は違うけれど、映画製作の関係者の話を集めて、三谷監督がどれほど映画製作に心血を注いでいるか、をアピールしている。三谷氏本人が書いたのではなく、実際には編集者、というか構成の方が"書いている"から自己顕示的なイヤミは感じられないけれど、それでも伊丹氏を意識しており、あわよくば凌ごう、としているような気負いが感じられる。その気負いは三谷氏本人から出ているものではないけれど。
「ステキな金縛り」を観た後でもやはり、私にとってのベスト三谷作品は「マジック・アワー」です。
2011-07-29
ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業 [マイケル・サンデル NHK「ハーバード白熱教室」制作チーム著]
アリストテレスからコミュニタリアニズムまで政治哲学の主要な理論を追いつつ、より善い社会を実現するにはどのような考えに基づいてどのように行動すればよいのかを考えている。
講義(この本)は、功利主義、リバタリアニズム、カントの純粋実践理性、契約論、アリストテレスの目的論と議論を進め、サンデル教授が持論とするコミュニタリアニズムの考えに学生(読者)を導いている。
コミュニタリアニズムは、その人自身は同意した覚えがなくとも人間には守らなくてはならない道徳的つながりがある、という考えのもと、人は属するコミュニティの過去・現在の中で自己を考え、現在と未来に善い影響を与える生き方をするべきではないか、としている。
この考えは仏教に通じていると思う。自己は独立した存在なのではなく、環境と一体化しており、コミュニティは自分であり、自分はコミュニティの一部である、という考えにおいて。
冒頭で、サンデル教授はこの講義は「慣れ親しんで疑いを感じたこともないほどよく知っていると思っていたことを、見知らぬことに変えてしまう」(上巻p.22)と言っている。これは学問の真髄であり醍醐味ですね。そしてこの本を読んで、物の見方が少し深まったような気がします。
ポッドキャストで講義を視聴していたが、功利主義からリバタリアニズムに移るあたりでついていけなくなってしまった。課題図書を全て読み、講義を理解してその場で自分の意見を述べ、さらにレポートも書いているハーバードの学生はやはり優秀だ。
しかし、この政治哲学の一連の講義を読んで思ったことは、これらの理論は先進民主社会を前提としているのではないか。アフリカ、南米の社会は、社会の中で善を追究するという環境にすらなっていない。
「銃・病原菌・鉄」を読んだ後なので、ロールズの、有利な条件から得た結果を不利な人たちのために役立てる、という考えは、ユーラシアに在る社会がアフリカと南米にある社会に対して負っているものであるとも思う。
カントについても紹介しているのだが、カントの、自分が自分に課しているルールに従っている限り自分は自由だ、という考えは、ハードボイルドの主人公たちと同じではないか。彼らはカント的に生きているといえる。
講義(この本)は、功利主義、リバタリアニズム、カントの純粋実践理性、契約論、アリストテレスの目的論と議論を進め、サンデル教授が持論とするコミュニタリアニズムの考えに学生(読者)を導いている。
コミュニタリアニズムは、その人自身は同意した覚えがなくとも人間には守らなくてはならない道徳的つながりがある、という考えのもと、人は属するコミュニティの過去・現在の中で自己を考え、現在と未来に善い影響を与える生き方をするべきではないか、としている。
この考えは仏教に通じていると思う。自己は独立した存在なのではなく、環境と一体化しており、コミュニティは自分であり、自分はコミュニティの一部である、という考えにおいて。
冒頭で、サンデル教授はこの講義は「慣れ親しんで疑いを感じたこともないほどよく知っていると思っていたことを、見知らぬことに変えてしまう」(上巻p.22)と言っている。これは学問の真髄であり醍醐味ですね。そしてこの本を読んで、物の見方が少し深まったような気がします。
ポッドキャストで講義を視聴していたが、功利主義からリバタリアニズムに移るあたりでついていけなくなってしまった。課題図書を全て読み、講義を理解してその場で自分の意見を述べ、さらにレポートも書いているハーバードの学生はやはり優秀だ。
しかし、この政治哲学の一連の講義を読んで思ったことは、これらの理論は先進民主社会を前提としているのではないか。アフリカ、南米の社会は、社会の中で善を追究するという環境にすらなっていない。
「銃・病原菌・鉄」を読んだ後なので、ロールズの、有利な条件から得た結果を不利な人たちのために役立てる、という考えは、ユーラシアに在る社会がアフリカと南米にある社会に対して負っているものであるとも思う。
カントについても紹介しているのだが、カントの、自分が自分に課しているルールに従っている限り自分は自由だ、という考えは、ハードボイルドの主人公たちと同じではないか。彼らはカント的に生きているといえる。
2011-04-01
チェルノブイリ旅日記 ある科学者が見た崩壊間際のソ連 [瀬尾 健著]
1990年に、チェルノブイリ原発事故の調査のためソ連を訪れた京都大学の原子力研究者の旅行記。原発事故の痕、崩壊寸前のソ連について描いている。福島原発の事故が現在進行中の今読むと、非常に示唆に富んでおり、ここで述べられているチェルノブイリの惨状が真に迫って感じられる。瀬尾氏は原発に反対する立場。IAEAや通産省を痛烈に批判している。事故調査を通産省が行うということは、「マフィアに麻薬捜査を任せるようなものだ」(p.248)とまで言っている。
反面、科学者として危険を知りながら事故を防げなかった自分を責めてもいる。「一般の人たちは、まず「科学者」に責任を全部おっかぶせることができる‥‥そういう問題の立て方をしても誰も怪しまない‥‥われわれはどうすればいいんだ」(p.158)
1986年にチェルノブイリで事故が起きた時、恐ろしいと思う一方、ソ連のような杜撰な行政だから起こったのだ、とも思った。ところがその頃、福井県の美浜やこの福島でも原発の事故はあったのだ。今回ほど決定的な局面に発展することはなかったけれど。そして今福島ではチェルノブイリで起こったことがすべて起こっている。命がけの消火活動、住民の避難、農業の廃業、政府の説明不足、巷に行き交う安全論と強硬反対論、IAEAの介入。行政が杜撰かどうかに関わりなく、事故は起きるということがわかって、今世界は福島に注目しているし、収拾に躍起になっているのだろう。
瀬尾さんは「批判的な目を持つ広範な大衆の存在が不可欠」(p.230)と言っている。学歴があるかないかに関係なく、ひとりひとりが自分で考えることをしなくては。イトイさんが言っている"消費者力"を持たなければ。それにはやはり良質の教育が必要か。
大学の研究者が書いたから専門的な面白みのない文章かと思っていた。ところが読み始めるとぐいぐい引き込まれて、どんどん読み進んでしまった。ソ連社会が生々しく描かれているし、原発のこともわかりやすく書かれている。この先生はどんな人なのだろう、と巻末の略歴を見たら研究所の助手とある。発行当時すでに50代になっているのに。それでネットで調べてみたら、この本が発行された2年後、1994年に亡くなっていた。ガンだったとのこと。放射能が原因ではないと思う。この本からも読み取れるがかなりのヘビースモーカーだったよう。
1995年に一周忌が行われ、追悼文集が編まれた。この追悼文集のPDFをネット上で見ることができる。1995年といったらまだパソコンはそんなに普及していなかった頃だし、PDFを使う人は少なかったと思う。印刷物をその後PDFにしたのではないだろうか。瀬尾氏が人間としてかなり影響力を持っていたことがうかがえる。
この本で瀬尾氏と一緒にチェルノブイリを訪れた相棒の今中氏は、福島原発の事故に関して発言を続けていらっしゃる様子。
しかしこれだけ精力的な研究活動をしているにもかかわらず50代で助手というのは、原子力研究がどれだけ政治的な影響を受けているかが垣間見えるようだ。
ところで、2011年4月1日、原子力の専門家が記者会見を開き、「総力結集」の提言を発表するとともに、事故に至ったことを国民に陳謝した。元原子力安全委員長は「謝って謝れる問題ではない。この事態を避けることに失敗した人間として、考えを突き詰めなかった点で社会に対して申し訳ない」と述べた。(朝日新聞2011年4月7日15面)
2010-04-07
やってみなはれみとくんなはれ [山口瞳、開高健著]
山口瞳、開高健、さすがに文章がうまい。おもしろい!ちょっと出だしを読み始めたら引き込まれてどんどん読んでしまった。
山口瞳、開高健が執筆したサントリー社史。山口瞳は創業から終戦までの「寿屋」と鳥井信二郎を描いている。赤玉ポートワインの成功で寿屋が資本を蓄積し、ウィスキー製造に乗り出した経緯。開高健は、戦後、佐治敬三ががビール製造を始め、事業として安定させるまでの道のりを描いている。
鳥井信二郎の「やってみなはれ」が人々を鼓舞し、会社を大きくしたことがよくわかる。商人としてイケるかどうかの判断はあったと思うけれど、「やってみなはれ」という一言だけでみんな一所懸命がんばれるものだと思う。「やってごらん」は後で「ほーらね」と言われそうな気がするけれど「やってみなはれ」には期待が感じられる。応えなくては、と頑張る力が湧いてくる。
これを読んで赤玉ポートワインを飲みたくなってしまった。今は赤玉スゥイートワインというのですね。酒屋にちゃんと置いてあった。甘い!でも葡萄の香りがしておいしい。去年100周年だったらしい。1世紀、製造し続け販売し続けるサントリー、やっぱりエライな。
2010-03-04
らくご小僧 [立川志らく著]
立川志らくの子ども時代から立川談志に入門するまでの思い出を語っている。各エピソードが古典落語の作品と結びついているようなこじつけているような展開。誇張したり創作している部分もあると、あとがきでことわっているが...。ちょうど「20世紀少年」3部作をDVDで観た後に読んだ。昭和の子どもが流行っているのでしょうか。自分の子ども時代、こんなふうに語れる面白い出来事があったかなぁと考えたけれど、ないな。
女子の子ども時代の過ごし方は、大人の女性と変わらない感じ。お洒落、友だちのうわさ話、お買い物、手芸とか少女漫画。それについていけない子は仲間はずれって感じ。体を動かすってことで言えばゴム段くらいかな。男子の方が子ども時代をドラマティックに生きているような気がする。
古典落語にかなり思い入れのある落語家ということがわかったので、立川志らくの落語を聞いてみたくなった。この本の中で志らくが、落語ファンとして見た立川談志を「それは江戸時代を飛び越し、我々の想像を絶する異次元空間を眼前につくり出してゆくよう」と評している。うまい!談志師匠の落語を的確に表している。
2010-01-28
悪人正機 [吉本隆明 糸井重里著]
イトイさんが吉本隆明に仕事、正義、素質などのキーワードについて訊ね、その答えをまとめた本。いろいろうなずく言葉が多かった。天才について、「そういう領域の特色というのは、着想です。そこでは、着想がまるで違う」
「普通の人がぜいたくして、いい洋服着たりうまいもの食ったりっていう、そのテーマがなくなっちゃったら、歴史の半分がおもしろくねぇ」
たしかに、少しでも贅沢したい、いい服を着たい、おいしいものを食べたいという欲求が文明を押し進めて来たのではないか。
そして、「みんなが同じようにそのことに血道をあげて、一色に染まりきらないと収まりがつかない」事に対して「そういうことは戦争中にさんざんやってきて、結局、無効だったってことなんですから」と言っている。それは太平洋戦争時代の日本だけでなく、ソ連、文革時代の中国、赤軍派、現在の北朝鮮にも通じる。今の日本にも会社や学校、何かの団体で、みんなが同じように一色に染まりきることを要求する場がある。それは「無効」だと吉本さんが断言しているのは心強い。
他にも例えば「耐え忍んでやっていくというのは『ひとつのやり方』にしかすぎない」というのもあった。耐え忍ぶのは強さであり美徳だと一般に誉められるが、そうしなければならない、ということはなくて、その人が選んでいるにすぎないのだ。
心強かったのは、「自己評価よりも下のことだったら、何でもやっていい」という言葉。これは甘えではないのですよね。背伸びをして実際より大きく見せようとすることは、却って心の負担を伴って消耗してしまうと思う。それにどこか不安を抱えているから、人に足元を見られることもあるだろう。吉本隆明も「それ以上のことをやろうってヤツはダメだ」と言っている。
語られている考えが私の考えと全く違う、ということがなく、これほど影響力のある思想家が同じようなことを言っているというのが心強かった。
この本は、2001年6月5日に第一刷で同月15日にすでに第二刷。相当売れたのですね。
2009-06-08
「美しい」ってなんだろう?-美術のすすめ- [森村泰昌著]
名画の人物や女優に扮してのセルフポートレートで有名な美術家、森村泰昌氏が中高生向けに連載していたシリーズの単行本。読みながら、「美しい」とは何かということばかりでなく、生き方、考え方をじっくり考えてしまった。美術の見方について深い示唆がある。
アンリ・カルティエ・ブレッソンの作品を解説している章で、「ナルホド!」と膝を打った。作品の構成の骨組みを考え、レントゲンにかけて見てみるということ。これをブレッソンの写真全てにやったら、自分の写真が変わるんでは?と期待を込めて思う。
読者からの質問に答えるコーナーも興味深い。モリムラ先生が言っていることは、何にでも一度は接してみよう、ということ。雑多な種を蒔いておくと、思わぬ時に思わぬ芽が育ってくる、それが人生の面白さだ、と。
何にでも接してみよう、というのは肯定的な態度ですね。物事を肯定的に見る人は、人を惹きつけるのではないかと思う。ひとりぼっちでない方が、生きやすいですね。
2009-04-24
話を聞く技術! [永江 朗著]
インタビューを仕事としている人たちにインタビューについてインタビューした本。河合隼雄先生や元刑事にも、人の話を聞くことについて聞いている。登場する人たちはインタビューの第一線にいる方々なのだけれど、立場、職業を超えて言っていることは、インタビュー相手に対してポジティブな感情を持って接して、信頼関係になることがよいインタビューに必要だ、ということ。
そのためにいやがることは聞かないとか、相手の話によく反応するとか、むだ話を追いかけるとか、あなたの話しを聞きたいのだという熱心な態度をするとか、色々なワザをそれぞれ持っている。でも根本は相手にポジティブな感情を持つことのよう。
ポジティブ(前向きや積極精神)は、本当に人間にとって重要な要素ですね。
1日で読めてしまった。あまり重くない本です。
2009-04-22
ぐうたら社会学 [遠藤周作著]
重い本を読んでいたので、軽いものを。1960年代から1970年代にかけて、東京新聞、主婦と生活、サンケイ新聞などに連載されたものを集めたエッセイ集。
主婦と生活に連載していたエッセイのテーマは「女性の悪口」だったらしい。主婦の話題は亭主と子どものことばかり、亭主が部長や東大卒(!)なら自分も同じだと考えているのは滑稽だ、と言っている。女性のその系譜は継承され続けていますよ。
サンケイ新聞に連載されていた「酔談」というタイトルのエッセイ・シリーズは、解説の方も書いているけれど、遠藤周作氏の小説家の重みとエッセイ家としての軽さがあいまった深みのあるエッセイになっている。
人と人とのつながりを持とうという意志の表れとしての笑いは、これから自分たちに必要だと言っている。イトイさんも同じようなことを言ってた。それと、宗教っていうのは、それぞれみんな違う女性を奥さんにして幸せに暮らしているのと同じで、状況によって違う宗教を持っていいと。敬虔で素直な気持ちがあれば。
あとなるほど、って思ったのは文化は形式、約束事で、約束事を知っているのが人間生活を送っていく知恵だということ。
そういえば遠藤周作氏は慶応卒でした。でも慶応に入るまで15回は試験に落ちたから要領のわるい学生に寄り添う気持ちを持っている。試験は一面であって、全てを否定されるべきでない、と励ましている。遠藤先生は信じていいと思います。
2009-03-31
パタゴニア-希望の大地- [藤井正夫著]
2009-02-22
ペンギニストは眠らない [糸井重里著]
イトイさんのむかしの作品も読んでみることに。
伊丹十三に近い。
(そしたら3月19日に第一回伊丹十三賞が糸井さんに授与されました。
すごくうれしい。
二人がつながっていると私が感じたのは
関係者も認めていることだったのだ。
ほぼ日に載った宮本信子のあいさつを読んで
ちょっぴり涙ぐんでしまった)
伊丹十三もイトイさんも
「あんたこそいわゆるスノッブってもんでしょ」
という印象があるのだけれど、
時代にとらわれない本質を書いている。
自分はなぜこのことが気になるのか、
と突き詰めて考えている。
その根元に「最善を尽くす」という考えがある。
「ガムシャラがいいのか」という疑問を呈してもいる。
イトイさんがいつもほぼ日で言ってること
「ペンギニスト---」でも同じことを言っていた。
30年も前なのに。
この人は終始一貫してたんだ。
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