読んだ本と、映画館で観た映画の記録をつけています。
おもしろかったポッドキャストの記事の紹介も。ポッドキャストは、NPR:Story of the DayとKCRW:GOOD FOODから。
コピー&ペースト等転載はお断りします。
2011-05-31
子どもおかあさんの心の傷 [NPR]
Original Title: Lexi's Saga: A Lost Childhood Leaves Emotional Scars
近親者からネグレクトされた7才の女の子が、ひとの世話をすることで自分の存在意義を見いだした話。
レクシという女の子は、物心ついた時から2人の弟たちの面倒を見て来た。現在、姉弟は養父母とともに"普通の"家庭で暮らしているが、レクシは今も弟たちの面倒を見なければならないし、養父母に対しても同様に世話をしなければならない、という強迫観念を抱いている。例えば、リンゴが3つあると、自分たち5人家族に一つずつ行き渡らないからとパニックになったりする。
当初レクシたちは母親と暮らしていたよう。父親は週末には帰って来たし、祖父母も健在で近所に住んでいたのだが、母親をはじめ誰も子どもたちの面倒を見なかった。おむつもとれない赤ん坊の弟たちとレクシだけで何日もアパートに残されることもあった。ある日3人が外で遊んでいると警官が見つけ、ソーシャルワーカーに連絡した。このソーシャルワーカーが後にレクシたちの養母になる女性。
ことばをしゃべれるようになっていた上の弟は罵詈雑言しか発しなかったが、それはまだいい方だった。姉のレクシは精神不安定のために自分の髪の毛を根っこから引き抜いて、それを食べていたのだ。養母が最初に会った時、レクシの頭から髪の毛がだいぶなくなっていた。
レクシは幼いながらも弟たちの面倒を見るという責任感を持つようになっていた。だから自分が弟たちの面倒をちゃんとみなければ、自分たちは離ればなれになってしまう、という恐れを抱いている。養父母の家にいても夜中に起きだして、弟たちに何かを食べさせようとしたりするのだ。それに実母に対しても責任感を持っていて、母の世話をするために家に帰らせてくれと養母に懇願することがあった。
養父母たちは、時々レクシたちを実母に会わせている。養子になった子どもたちは、いずれ自分のルーツを知ろうとするのだから、小さいときから知っている方がよい、という考え。
実母はレクシたちを手放した後、妊娠した。それを知ってレクシは、生まれてくる赤ん坊は自分が面倒をみなければ死んでしまう、と泣き出した。その後実母はまた妊娠した。レクシはその知らせを聞いた時、大喜びしたが、その後おもらししたりかんしゃくを起したり、精神的に不安定になった。
だが、子どもおかあさんのレクシはだんだん"女の子"らしくなって、精神的にも落ち着いてきているよう。お嫁さんになって18人子どもを生むと言っている。未来の旦那さんは、服を破ったりパソコンを投げ飛ばしたりしない人がいい、と。
戦前には子どものうちから大人社会に入って働かざるを得ないために、人生に子どもらしい時間がなかった人もいたけれど.....。それにしても、以前子どもを生む機械と失言した人がいましたが、社会が育てる、という考えがあれば生む人と育てる人を分けるというケースがもっとあってもいいのではないかと思う。レクシの養父母のように、実母とのつながりを切らない、という考えなら子どものアイデンティティ形成にも影響は少ないのではないか。
2011-05-30
松本・美ヶ原
5月29日から30日まで、松本と美ヶ原へ行ってきました。
5月28日、29日は松本のあがたの森公園を会場に「クラフトフェア」が開催されるので、「クラフトフェア」を楽しんでついでに山も登ろう、という計画でしたが、松本入りした29日は台風接近ということで、強い雨が降っていました。にもかかわらず、クラフトフェアは大盛況。武蔵野美大出身の若い女性陶芸家の作品を購入しました。
クラフトフェア会場を後にして、昼食後、「蔵しっく」という通りを散策。明治から昭和初期にかけて建造された蔵が多数残されていて、家具店やアンティークショップなどになっています。それから縄手通りも散策。蔵しっくとは趣が異なり庶民的な風情のある店が並んでいます。この時は松本が連続テレビ小説「おひさま」の舞台となっているので、町中に「おひさま」がありました。
この日の夜は美ヶ原高原のふもとにある公共の宿に宿泊。
翌30日。宿の裏手にある登山口から美ヶ原高原へ登りました。台風は進路を変えて遠ざかっていましたが、朝から雨が降り続いていました。
百曲というルートで頂上を目指します。その名の通り山の斜面をジグザグに進む道です。小石が敷き詰められていて、登山道はよく整備されていますが、雨のため道が小さなせせらぎとなっていたのでした。
午前11時頃頂上に到達。美ヶ原高原は霧に包まれ真っ白でした。有名な美しの塔をあやうく見過ごしてしまうところでした。
王ケ頭ホテルの食堂で昼食。山の上にもかかわらず山菜そばが600円と良心的なお値段。午後になると雨は止みましたが、霧は一向に晴れません。
王ケ鼻を回って八丁ダルミコースで下山。途中、苔と木々の緑が美しい神秘的な場所を通りました。
雨と霧で景色を楽しむことはできませんでしたが、そのせいか他の登山者に出会うことがなく、山を貸し切って登ることができました。夏になったらまた北アルプスの山に登りたいと考えています。
2011-05-29
宇宙から幻のピラミッドを発見 [NPR]
Original Title: Possible Pyramids Discovered From Space
映画「インディアナ・ジョーンズ失われたアーク」で、ジョーンズ博士が発掘した幻の都タニスが、NASAの衛星からの赤外線画像によって現実に発見されるかもしれない、という話。
衛星が放射する光は地表の形状によって反射の波長が異なる、らしい。この波長の違いを色で区別することによって、地上で見るのではわからない地表の形状を読み取るシステムがある。
アラバマ大学のチームは、最近このシステムを使って17ものピラミッド状の建造物が地下にあるのことを読み取った。現地での初期発掘でも、少なくとも二つはピラミッドに極めて近い形をしていることがわかったが、100%確実にピラミッドだとは言い切れないとのこと。いずれにせよ衛星からの画像と実際に発掘現場で掘り出した遺跡の形状はほとんど変わらないらしい。
人口増に伴う都市開発で、遺跡が眠る土地が掘り返されたら衛星画像も役に立たなくなってしまう。個人的にエジプト文明にとても興味を持っているので、この技術によって世紀の発見があるといいな、と思う。
写真は私が撮ったギザのピラミッド。
2011-05-22
「最後の審判」の後、犬の散歩はどうする? [NPR]
Original Title: After The Rapture, Who Will Walk Your Dog?
2011年5月21日にこの世が終わり、「最後の審判がくだる」とかなり以前から大衆に予言アンド警告する宗教グループがあったわけだけれど、善き信者たちが天に召された後はペットの面倒を誰が見るのか、という重大な問題がその陰にあった。
この憂いを晴らすべく、最後の審判の後にペットの面倒をみましょう、という有料サービスを起した人がいる。この会社は2009年6月に設立されており、5月21日をにらんで設立されたわけではないのだが、今後10年間に最後の審判があった際には残されたペットを無事に保護しますというサービスにすでに259人の申し込みがある。
料金は意外に安い。最初のペットが135ドルで、1匹増えるごとに20ドル加算される。扱うペットは、犬、猫、ハムスター、ブタ、リャマなど。
しかし、最後の審判の後、一体誰が生き残るというのか。善き信者は天国へ行き、不信心者は地獄へ落ちるというのに。会社はそこのところもちゃんとおさえてある。ペット救助者には犯罪歴のない異教徒で、天国にも地獄にも行かない人たちを採用している。
2011年5月21日、結局、最後の審判は下らなかったわけだけれど、この会社の社長は、顧客が契約内容を忘れて料金払い戻しを請求しないかを案じていた。(笑)ってところですね。
が、よく考えるとこれは笑いごとではない。福島原発近隣地域の事故とそれに続く住民避難で、残された犬や猫が町を徘徊している。その様子はまさにまさに、予言を信じていた人たちが案じていた事態だ。福島では、ボランティアでペット救助に奔走している人たちもいる。安易にこの世の終わりを言い立てる狂信者、これを見ろ!フザケルナ。
2011-05-21
原始人の頃からゴシップが好き [NPR]
Original Title: Psst! The Human Brain Is Wired For Gossip
人間は原始人の頃からゴシップを聞くことで、敵と味方を見分けて身を守ってきた、という話。
ジャーナル・サイエンスのオンライン版に掲載された論文によると、人間は、ある人物のウワサを聞くと脳が反応してその人を見る目が変わる。
ゴシップはある人物に関する情報であるばかりか、その人に対する感情も左右してしまう。研究チームは更に踏み込んで、ある人物を特定の見方で見るよう仕向けられた二次情報によって、本当にその人物に対する見方が変わるか、について調査した。
研究チームは、脳が異なるタイプの情報にどのように反応するかを見る実験をした。悪いウワサを書き添えた顔写真と良い評判を書き添えた顔写真何枚かを被験者に見せ、その後、左目と右目にそれぞれ異なる画像を見せる装置で顔写真と家の写真を見せた。人は2つの画像を同時に見ることができないから、左目か右目かどちらかが見ている画像に集中しようとする。つまり、より重要と考える画像を見ようとする。
この実験でわかったのは、人の脳は悪いウワサと結びついている人の顔を見ようとするということ。やはりゴシップは対象人物への見方に影響を与えているようだ。
実験結果から、ゴシップ好きはその人の個性なのではなく、人類進化の過程で必要とされていた能力なのだと解釈する研究者がいる。大昔、人類は自分たちにとって脅威となる集団を知る必要があった。だが個人的な経験でそれを知るには時間がかかるので、ゴシップに頼って素早く判断するようにしていたという。別の研究者は、自分より上位の存在のゴシップは優越感を感じさせるものだ、と言っている。
いずれにせよ、古代の昔から人間はゴシップに反応するように出来ているということ。
人のウワサ話をしないのは、肝心な情報を隠しているからなのか、それとも自分自身が対象人物より上位だから優越感を感じる必要がないからなのか。
2011-05-20
天使と悪魔 [ダン・ブラウン著]
荒唐無稽だ。荒唐無稽すぎる。が、ものすごくよく調べて書いてあるからのめりこんで読んでしまった。
ハーバード大学の象徴学の教授、ラングレンは早朝の電話で叩き起こされ、スイスにある科学研究所へ連れて行かれる。そこで歴史上の秘密結社イルミナティがいまだに存在し、この科学研究所で発見された反物質を使って仇敵バチカンにテロを仕掛けていることを知る。反物質爆発までの6時間の間にイルミナティの暗殺者の居所を突き止め、バチカンを救わなければならない。スリルとサスペンスが満載。
「ダビンチコード」もそうだったが、中世の芸術家、科学者が残した作品を読み解いて手がかりを得ようとする過程が面白い。しかもそれらの作品は実在するわけだから、そこに意味を見い出してプロットに取り込んでいるダン・ブラウンはすごい着想力を持っていると感心してしまう。
観光で訪れたら、裸の男の石像がある、とか、天使がポーズをとっている、としか見えない作品に、隠された歴史背景と深い意味があることを知れば、もっと面白く楽しく眺めることができる。それを知っているというのが「教養」で、タモリ氏も言ってるように教養があるということは人生のお楽しみが増えるということですね。
この作品に登場するのは、サンタ・マリア・デル・ボボロ教会、サンピエトロ広場、サンタ・マリア・デッラ・ヴィッットリア教会、ナヴァーナ広場の噴水など。
謎解きと追跡というミステリだけでなく、最後の最後にテーマである科学と宗教にまつわる大どんでん返しがあって、作者の仕掛けたトリックに圧倒されて終わる。
すでに映画化されているので、登場人物のうちカレルメンゴはずっとユアン・マクレガーのイメージで読んでいた。原作のイメージにぴったりだ。
この作品は「ダ・ヴィンチ・コード」より前の作品。「ダ・ヴィンチ・コード」の方が小説としての出来がいいのではないかと思う。この作品は、謎解きの核心に迫る息詰まる瞬間にいきなり場面転換になって緊張感がぶっつり切られることがままあった。
2011-05-18
波乗りの町に現れた聖女グアダルペ [NPR]
Original Title: Virgin Of Guadalupe Mosaic Surfs Into Calif. Town
カリフォルニア州サンディエゴに突如現れた聖女グアダルペのモザイク画の話。聖女グアダルペは16世紀のメキシコに現れて教会を建立するようお告げをしたことで有名。
イースター前の金曜日、サンディエゴ郡の海沿いの町エンシニータスの幹線道路脇に建設作業員のチームが現れ、聖女グアダルペのモザイク画を設置して去っていった。モザイク画の大きさは縦横約3メートル。聖女が真っ青な海を背景に白いサーフボードに乗って波乗りをしている。モザイク画の左端には「海を救え」の文字。
素晴らしい芸術作品であることは間違いないし、モザイク画を一目見ようと観光客が大勢町にやってきているよう。しかし、市当局は扱いに苦慮している。設置許可なしに置かれているので違法だし、宗教画を公共の場に置くのも違法だからだ。波乗り聖女のメッセージは宗教的なものではなく、人々に変革を促す普遍的なものだ、という人もいるが。
いずれにせよいまだに作者は不明。美しく神聖な作品なのだがゲリラ芸術でもある。
ゲリラ芸術といえば、5月中旬、渋谷駅にある岡本太郎作の壁画「明日の神話」に福島原発をイメージしたステッカーが貼られて、アーティスト集団が実行声明をだした。明日の神話落書き事件も主張がなきにしもあらずだが、聖女グアダルペのモザイク画の出現のほうは題材が題材だけにミステリアスで、人々に色々考えさせるものがあるようだ。
サンディエゴに住んでいたので、サンディエゴ関連の記事にとても興味がある。
2011-05-17
なぜ宇宙人はアメリカに来ない? [NPR]
Original Title: If E.T. Phones, Will We Hear? SETI Loses Key Funding
地球外知的生命体探査が予算に左右されている話。
地球外知的生命体探査機関(SETI)は1984年に設立され、今では150人の研究者とスタッフを抱えるまでになった。3つの研究センターで構成され、その一つはカール・セーガンの名を冠している。
SETIは設立当初からNASAからの資金援助を受けていたが、1993年にそれが打ち切られると"宇宙人"を探索しながら"資金"も探索してきた。
そんな中、2007年にアレン望遠鏡群が完成。マイクロソフト社の創設者の一人、アレン氏の資金援助によって完成したこの望遠鏡群はカリフォルニア州にあり、カリフォルニア大学バークレー校とともにSETIが管理運営することになった。この望遠鏡群を使えることでSETIの地球外知的生命体探査にはずみがついたわけだが、折からの不況でカリフォルニア州が予算を削ったため、UCバークレーはアレン望遠鏡群を閉鎖せざるを得なくなった。
また資金難に直面したSETI。しかしNASAのケプラー望遠鏡が最近、地球によく似た環境の惑星が存在する痕跡を発見。地球外知的生命体発見の可能性が今一番高くなっている。ここで探査を止めるわけにはいかない、とSETIの所長は個人寄付で500万ドルの基金を集めようとしている。
まだ読んでいないけれど、松尾貴史氏が「なぜ宇宙人は地球に来ない?」を著した。地球外知的生命体探査は人類の大いなる真面目なお楽しみ、のような気がする。人生に楽しみはあったほうがよいけれど。
この記事の中で、地球は宇宙の中ではかなり若い方と言われている。地球がある銀河は100億歳だが他の銀河はさらに100億年年上だ。この世が終わる、なんて声高に主張する人たちもいるけれど、まだまだ先は長そうだ。
2011-05-15
マラスキーノ・チェリーの作り方 [GOOD FOOD]
Original Title: Cherries
南カリフォルニアはサクランボの季節に入ったよう。カクテルやアイスクリームに添えるマラスキーノ・チェリーの作り方を、レストランのオーナーが語っている。
作り方は簡単。砂糖、水を1:1の割合で鍋に入れ、そこにシナモン、バニラ、ショウガなどの香辛料を加えて5分位煮立たせる。そこに枝をつけたままのチェリーを入れて、煮すぎないように気をつけて十分火を通す。そしてそのまま冷ます。
シロップにブランディを入れてもいいし、入れなくてもいい。日本ではマラスキーノと発音しているけれど、番組ではマラシーノと発音している。ネットで調べたらマラスキーノというリキュールに漬けるからマラスキーノ・チェリーと呼ぶとのこと。番組のレシピによれば、ブランディを入れたらブランディ・チェリーと呼ぶらしい。
残ったシロップはカクテルに使ったり、アイスティーに入れたり、色々な飲み物に使える。このレストランのオーナーは、シロップとウィスキー、レモンジュースを混ぜてカクテルを作るそう。ハイボールに自家製マラスキーノ・チェリーを飾るのもお洒落ですね。
保存する際は必ずガラス瓶に入れるように、とのこと。自家製なら保存料、着色料、添加物なしで安心して楽しめる。アメリカンチェリーが出回るようになったら作ってみようと思う。
京都・大阪旅行
5月13日から15日まで京都と大阪を回ってきました。
12日深夜、夜行バスで出発。13日の午前6時前に京都に着きました。朝食は駅前にある喫茶店でモーニングを。かわいらしい外観なのに、入ってみると80代らしきおじいさんが切り盛りしていました。白髪をポニーテールにしてバンダナの鉢巻き。常連さんがやって来てぽつりぽつりとおしゃべり。京都弁で。
京都での宿は、ゲストハウスを予約。祇園四条のお茶屋を改装した宿です。ゲストハウスに荷物を預けたいので、歩いて行くことに。鴨川に平行して流れている高瀬川沿いの道が四条まで続いています。この道を辿ることにしました。
この道を選んで大正解。川沿いには木々や植木鉢、道に面して民家や小さな旅館が並んでいて、小さなお稲荷さんもそこここに。朝の湿った空気と川のせせらぎ、古い木造家屋から漂う木の香り。古都の雰囲気。
ゲストハウスに荷物を預けると、京阪電車で出町柳へ。京都大学がある町です。森見登美彦さんの作品に時々登場する進々堂という喫茶店でコーヒーを。
進々堂から叡山電鉄元田中駅まで歩き、そこから一乗寺へ。この町にある恵文社という書店が目当てでした。電子書籍の時代に突入した現代において恵文社は文化を発信するユニークな書店として時々メディアに取り上げられています。近畿地方では有名な書店。
書籍と雑貨を扱っており、書籍の品揃えは私のツボにぴたりとハマってました。植草甚一氏の本がずらりと並んでるのは圧巻。そういえば朝の喫茶店のおじいさんは植草氏系だった。
詩仙堂へも寄って、また叡山電鉄で元田中へ。ちょうど昼食時だったので、駅前にあるうどん屋でたぬきうどんを食べました。京都のたぬきうどんは、甘辛く煮たきざみ油揚げと青葱を散らしたあんかけうどん。
うどん屋の後、糺ノ森に寄って次の目的地である河井寛次郎記念館へ向かいました。糺ノ森も森見さんの作品によく登場します。
河井寛次郎は柳宗悦らの民芸運動を支えた陶芸家の一人。登り窯のある自宅は河井寛次郎が日本各地の民家を参考にしつつ自身で設計したものです。
夕方、ゲストハウスへ戻りました。ここには共同シャワーしかないので、近所の銭湯へ。明るくてきれいなお風呂屋さんで、京都のおばちゃんたちのおしゃべりを聞きながらほっこり。これからお風呂に入るおばちゃんが、風呂から上がって着替え終わった知り合いに「おやすみなさい」と言うのが、なんとなく不思議な感じでした。
翌朝は午前5時に起床。朝食前に清水寺、高台寺、八坂神社、花見小路を歩いて回りました。高台寺の近くに坂本龍馬の墓があるのですが、午前8時開門とのことで、今回は訪れることができませんでした。次回はぜひ。京都の朝は観光客がほとんどいなくて、静かで、町並を味わいながら歩くことができました。
昼前に大阪へ移動。京阪電車の特急に乗ったのですが、シートが豪華!グリーン車並み。でも普通運賃なのです。
日中は南海電鉄に乗ってみさき公園へ。夕方からジャンジャン横丁へ繰り出しました。通天閣のそばにある路地に立ち飲み屋、将棋・囲碁の会所がぎっちり集まっていて、大阪のオッチャンたちの溜まり場です。ソース二度つけ禁止の串カツやドテ焼きなどで飲みました。
ジャンジャン横丁の後、新今宮へ。玉出という安売りスーパーのぞいてみたかったのです。魚肉ソーセージが1本1円。ポップをよく見たら、1000円以上お買い上げの方に、と。この晩は、道頓堀でそば入りお好み焼きを食べて締めました。
15日日曜日は梅田でミュージカル観劇。このお芝居が今回の旅行の本来の目的だったのです。夕方の新幹線で帰ってきました。
12日深夜、夜行バスで出発。13日の午前6時前に京都に着きました。朝食は駅前にある喫茶店でモーニングを。かわいらしい外観なのに、入ってみると80代らしきおじいさんが切り盛りしていました。白髪をポニーテールにしてバンダナの鉢巻き。常連さんがやって来てぽつりぽつりとおしゃべり。京都弁で。
京都での宿は、ゲストハウスを予約。祇園四条のお茶屋を改装した宿です。ゲストハウスに荷物を預けたいので、歩いて行くことに。鴨川に平行して流れている高瀬川沿いの道が四条まで続いています。この道を辿ることにしました。
この道を選んで大正解。川沿いには木々や植木鉢、道に面して民家や小さな旅館が並んでいて、小さなお稲荷さんもそこここに。朝の湿った空気と川のせせらぎ、古い木造家屋から漂う木の香り。古都の雰囲気。
ゲストハウスに荷物を預けると、京阪電車で出町柳へ。京都大学がある町です。森見登美彦さんの作品に時々登場する進々堂という喫茶店でコーヒーを。
進々堂から叡山電鉄元田中駅まで歩き、そこから一乗寺へ。この町にある恵文社という書店が目当てでした。電子書籍の時代に突入した現代において恵文社は文化を発信するユニークな書店として時々メディアに取り上げられています。近畿地方では有名な書店。
書籍と雑貨を扱っており、書籍の品揃えは私のツボにぴたりとハマってました。植草甚一氏の本がずらりと並んでるのは圧巻。そういえば朝の喫茶店のおじいさんは植草氏系だった。
詩仙堂へも寄って、また叡山電鉄で元田中へ。ちょうど昼食時だったので、駅前にあるうどん屋でたぬきうどんを食べました。京都のたぬきうどんは、甘辛く煮たきざみ油揚げと青葱を散らしたあんかけうどん。
うどん屋の後、糺ノ森に寄って次の目的地である河井寛次郎記念館へ向かいました。糺ノ森も森見さんの作品によく登場します。
河井寛次郎は柳宗悦らの民芸運動を支えた陶芸家の一人。登り窯のある自宅は河井寛次郎が日本各地の民家を参考にしつつ自身で設計したものです。
夕方、ゲストハウスへ戻りました。ここには共同シャワーしかないので、近所の銭湯へ。明るくてきれいなお風呂屋さんで、京都のおばちゃんたちのおしゃべりを聞きながらほっこり。これからお風呂に入るおばちゃんが、風呂から上がって着替え終わった知り合いに「おやすみなさい」と言うのが、なんとなく不思議な感じでした。
翌朝は午前5時に起床。朝食前に清水寺、高台寺、八坂神社、花見小路を歩いて回りました。高台寺の近くに坂本龍馬の墓があるのですが、午前8時開門とのことで、今回は訪れることができませんでした。次回はぜひ。京都の朝は観光客がほとんどいなくて、静かで、町並を味わいながら歩くことができました。
昼前に大阪へ移動。京阪電車の特急に乗ったのですが、シートが豪華!グリーン車並み。でも普通運賃なのです。
日中は南海電鉄に乗ってみさき公園へ。夕方からジャンジャン横丁へ繰り出しました。通天閣のそばにある路地に立ち飲み屋、将棋・囲碁の会所がぎっちり集まっていて、大阪のオッチャンたちの溜まり場です。ソース二度つけ禁止の串カツやドテ焼きなどで飲みました。
ジャンジャン横丁の後、新今宮へ。玉出という安売りスーパーのぞいてみたかったのです。魚肉ソーセージが1本1円。ポップをよく見たら、1000円以上お買い上げの方に、と。この晩は、道頓堀でそば入りお好み焼きを食べて締めました。
15日日曜日は梅田でミュージカル観劇。このお芝居が今回の旅行の本来の目的だったのです。夕方の新幹線で帰ってきました。
2011-05-14
無名でも高収入なインターネット・ロックスター [NPR]
Original Title: An Internet Rock Star Tells All
インターネット時代なら無名ミュージシャンでもかなり稼げる、という話。
ジョナサン・コールトン(Jonathan Coulton)は、曲がラジオでかかったこともないし、大手レコード(?)会社とも契約していないが、2010年は50万ドル売り上げたミュージシャン。
コールトンは自分のホームページで曲を売っている。中間マージンをとられることがないから、売り上げは殆どコールトンの懐に入る。ホームページでは曲の歌詞が読め、ファン同士が交流でき、彼のブログを読むことができる。
曲はポップロックのコミック・ソング。世間を皮肉るオタッキーな歌が多い。ゾンビになった元同僚からメールが来た歌とか、失恋したコンピュータープログラマーの歌など。
コールトンは20年前にミュージシャンを目指してニューヨークへやって来たが、結局ソフトウェア業界で仕事をすることに。自分が音楽で食べていけるようになるとは思っていなかった。数年前自作の曲をホームページにアップすると、それが技術系の掲示板サイトに投稿され、技術系"オタク"リスナーのハートを掴み、ミュージシャンとして売れるようになった。
本人は、自分はすき間ミュージシャンだ、と言っている。しかしすき間はどこにでもあるから、無名ミュージシャンでも音楽でやっていける可能性はある。それもこれもインターネットのおかげだ、と。
夢を持ち続けていればいつか叶う、というのは本当ですね。ソフトウェア業界という寄り道があったからこそ、21世紀にミュージシャンとして稼げるようになったのではないか。寄り道も大切です。
2011-05-13
繰り返される「この世の終わり」 [NPR]
Original Title: Divining Doomsday: An Old Practice With New Tricks
2011年5月21日、この世が終わる(ことになっていた)。終末論は度々世間を賑わすけれど、その背景についての話。
度重なる地震や東日本大震災のせいか、アメリカでは2011年5月21日午後6時頃に大地震が起こって最後の審判の時が来る、と信じる人たちがいる。(というか、いた)
聖書が「最後の審判」を予言(預言?)しているため、終末論は聖パウロの時代から言われているが、1948年にイスラエルが建国されると、以前に増して頻繁に終末論が主張されるようになった。聖書の預言はイスラエルの建国を前提としているので、実際にイスラエルが建国されたことによって預言時計が動き始めたらしい。
グローバル経済も、EUの誕生も、中東の騒乱も、異常気象も全て聖書の預言通りだ、と信者たちは見ている。聖書は当時の検閲を逃れるために隠喩で記述されているので、後世の人たちは様々な出来事を聖書の預言通りだと解釈できてしまう。しかし、聖書は来るべき終末の年月日を特定してはいない。聖書の記述のあいまいさのおかげで、これからも終末論は繰り返されるでしょう。
世論調査を専門とする研究機関の調査によると、アメリカ人の41%は2050年までにイエスが再臨すると信じているとのこと。
グローバル経済とEUの誕生が聖書に書かれているとしたら、それは2000年前の人たちも世界が一つにまとまることを夢見ていたからで、人類は2000年かけて夢を実現したと言えるのではないか。
信じる者だけが救われるという考えは、あまりに排他的だ。
2011-05-08
魅惑のロゼワイン [GOOD FOOD]
Original Title: Rosé
母の日にちなんで、ロゼワインについての話。母の日にはロゼワインを飲むものらしい。
ロゼワインの製造方法は3つある。
ひとつは、赤ワイン用のブドウをつぶして白ワイン用のブドウ汁に漬け込んで色をつけるもの。ワイン醸造家は出したい色に合わせて赤ブドウの品種を選んだり、品種を組み合わせたりする。漬け込む期間は1日から1週間で、その後赤ブドウの皮は取り除かれる。
もうひとつは、白ワイン用のブドウ汁に赤ブドウのジュースを混ぜるもの。着色すると言ってもいいかもしれない。
以上の二つは伝統的なロゼワインの製造法。最近、といっても20世紀頃からだけれど、もう一つの方法でロゼワインが製造されるようになった。それは、赤ワインと白ワインをブレンドする、という方法。南アフリカやオーストラリア産のロゼワインはこの方法で製造されているそう。
しかしヨーロッパのワイン醸造所は、赤と白のブレンドは偽物ロゼだ、とブレンドロゼを非難。ブレンドロゼの生産国は、この製造方法は価格改革をもたらしてワインを身近なものにしたじゃないか、と応酬。両者の対立が激化して、論争はEUの裁判所に持ち込まれることになった。
判決は、ブレンドはロゼワインの正統な製造法ではない、というもの。
というわけで現在売られているヨーロッパ産のロゼワインは、伝統的な製造法のどちらかで製造されている。
昔、ロゼワインは赤ワインと白ワインを混ぜたものなんだ、と聞いたけれど、それは本当だったんだ。ウィスキーにはシングルモルトとブレンドがあるけれど、それぞれにいい味わいがあると思う。ロゼワインを飲み比べたくなった。
2011-05-05
太陽がいっぱい [ルネ・クレマン監督]
怖しい映画だ。
イタリア地中海のリゾートを舞台に、富豪の息子を親元に連れ戻すために雇われた男が、息子を殺して財産を乗っ取ろうとする話。
地中海の陽光あふれる開放的な明るい風景と、繰り広げられる犯罪の陰惨さとあやうさが強烈なコントラストとなっている。血しぶきが飛ぶわけではないけれど、余りの怖さに観ていて目を覆いたくなった。
アラン・ドロンが美しい。ファッションは21世紀に観ても全然色褪せていない。ひとつひとつのシーンがファッション誌のグラビアのようにキマっている。
淀川長治氏は、「太陽がいっぱい」には同性愛を示唆する演出が満載だと言っているが、私にはわからなかった。
「リプリー」というタイトルでハリウッドでリメークされた。殺される富豪の息子役をジュード・ロウが演じたが、オリジナルで演じたモーリス・ロネととてもよく似ている。
名画として知っていたがなかなか観る機会がなかった。今回思い切って観に行ったけれど、これまで縁がなかったということは観ない方がいいということだったのかもしれない。あまりの怖しさに鬱がひどくなってしまった。
1960年制作。
2011-05-04
風と共に去りぬ [ヴィクター・フレミング監督]
大メロドラマだ。これぞメロドラマ。
南北戦争をはさんで、米南部の綿花大農園の娘であるヒロインが家の没落、想い人とのままならぬ恋、愛娘の死亡を乗り越えて逞しく生きて行く姿を描いている。
今回観て思ったことがいくつか。大長編の原作をたった233分にまとめるにあたって、監督と脚本家は時間の流れの割愛をすごくうまく演出している。
それから、これはスカーレットとメラニーという2人の女性の物語でもある、ということ。メラニーを演じる女優がオリビア・デ・ハビランドほどの実力がなかったら、この映画はここまで深いドラマにならなかったと思う。勝ち気なスカーレットと控えめなメラニーという対照ではなく、この時代を生き抜かざるを得なかったすべての女性へのオマージュなのではないか。
レット・バトラー。映画史上十指に入る男前だ。前回観た時にはわからなかった彼の弱さに胸が締め付けられるようだった。恋は男を弱くさせるのですね。
背景となっている時代が戦争をきっかけに世の中のあり方が変わって行く時代だったからだと思うが、これでもかこれでもかこれでもかという位ヒロインに試練が課される。中にはヒロイン自身が招いたのではないか、というような試練もある。
スカーレット・オハラは優しさとたおやかさのある女性だが、情熱的で自己中心的な性格の方が勝っている。そんな性格だから試練が次々と舞い込んでくるとも言えるが、それだからドラマとして面白く、部外者である観客は映画を楽しめるわけでもある。もし自分がスカーレットだったら自分の性格に厭気がさして激しく落ち込むし、ミード夫人のような平穏な生活をうらやむと思う。でも、ミード夫人が主人公のメロドラマは名作にはならないだろう。やっぱりスカーレット・オハラの方がずっとずっと魅力的だ。
そう考えると、ままならない試練が重なるというのは、魅力的なドラマを生きているから、と発想を転換することもできるだろうか。
南北戦争を境に米南部の社会がどんどん変わっていく様子も描かれている。その頃の日本は幕末から明治へと移る時代。世界的に価値観が転換する時代だったのですね。米南部では今も南北戦争の評価について世論が分かれているらしい。
1939年制作。
2011-05-03
イスラム系アメリカ人にとってのビンラディンの死 [NPR]
Original Title: U.S. Muslims React: Relief, But Not For All
2011年5月2日、米軍の作戦によってパキスタンでオサマ・ビンラディンが死亡した。この事件に対するイスラム系アメリカ人の反応を伝える記事。
たいていのイスラム系アメリカ人はビンラディンの死を歓迎(?)している。ビンラディンはイスラム教徒のイメージを悪くさせ、イスラム教の教義をねじ曲げた。ビンラディンの死でイスラム系アメリカ人への風当たりがなくなることを期待している。
米軍の作戦を非難するイスラム教指導者はいないようだ。海外のイスラム教指導者の中には、米軍がビンラディンを水葬したのはイスラム教への侮辱だと言う人たちもいるが、米国内の指導者は、あのテロリストがこの世からいなくなることが重要なのであって埋葬方法にこだわらない、と言っている。
しかしイスラム系アメリカ人全員が手放しで喜んでいるわけではない。海外で復讐が復讐を呼ぶのではないかと案じている指導者もいる。暴力の火種は、正義よりも爆発するきっかけを求めている。ビンラディンが死んだからといってイスラム系アメリカ人が抱える問題が一挙に解決するはずがない、と。
オバマ大統領が言ったように、他の誰よりも多くのイスラム教徒がビンラディンによって死に追いやられ、その過程でイスラム教が傷つけられたことは確かだとイスラム教指導者たちは思っている。
イスラム社会が混沌とし始めている。どの社会も通過してきた変化の時をイスラム社会も迎えているのではないか。
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