午後2時46分、銀行から戻って手元現金の収支を合わせているところだった。横揺れが始まり、そのうち止まるでしょうと思っていたがなかなか収まらず、建物がギシギシ音を立て始めた。怖くなって隣の部屋へ行ったら、みんなも尋常でないものを感じていた。ニュージーランドの地震のことが頭を横切り、建物ごと沈んだら非常食も水も意味がない、と恐怖を感じた。

自分の席がある部屋は、ファイルやソフトウェアの箱がいくつか落ちていたが、食器が落ちて割れたのが一番大きな被害。大したことはなかった。隣の部屋を見ると、机の上の整理整頓ができていない人の書類や本が床に散らばっていた。持っていたGRでその様子を写真に撮った。
しかし日頃から地震対策を講じていたので、他の部屋に甚大な被害はなく、全員ケガもなく、大きな地震だった、という程度の認識。するとまた大きな横揺れ。再び全員で建物の外へ避難。

揺れが収まりまた部屋に戻った。
ヤフーを見るとトップページに大きな地震速報と津波警報。東京は震度5強の揺れだった。首都圏の鉄道は全て停まって復旧の見通しが立たず。余震は切れ目なく続いていたが、震度3程度。震源地は東北沖とのこと。そういえば3日前に宮城県沖で地震があった。それと関係しているのか。10mの津波警報が流れている。10mって建物の3階より高いのではないか。
全ての鉄道が停まっているので職場に泊まることにした。大地震に備えて職場に食料、水、クッションを用意していたが、本当にこの日が来るとは思っていなかった。

食堂のテレビで津波の様子を見た。黒い生き物のようだ。波が町を覆うというより、町が海にめりこんでいくように見える。船と自動車と家が一緒に流れている。津波の跡は、東京大空襲の焼け野原を思い出させる。

ユーストリームでNHKの報道を聞きながら、机に突っ伏して仮眠。午前3時頃、長野県で大きな地震があり、職場でも少し揺れた。

2011年3月11日はすべての日本人にとって境界線になるのではないか。1945年8月15日が境界線であるように。
小さい話になるが、自宅の3軒先の家が取り壊され更地になった。品のある日本家屋で紅白の梅の木が満開だった。被災地の人たちの喪失感に比ぶべくもないが、私の中にも大きな喪失感がある。でも前向きに生きて行かなくては、と思う。無理してでも前向きな気持ちであれば宇宙真理は良い方に向かうことになっているのだ。そして前向きな祈りを向けられた人たちはその状態が良くなる、という研究結果の記事がNPRにあったように、何もできなくても被災地と日本を応援する気持ちだけは持ち続けよう。