2010-10-14

スパイだったスパイ小説家たち [アンソニー・マスターズ著]


スパイだったスパイ小説家について、本人たちのスパイとしての活動が作品にどう反映されているかについて解説している本。

ジョン・バカン、サマセット・モーム、グレアム・グリーン、イアン・フレミング、ジョン・ル・カレ。全員、本人が小説の主人公でもおかしくない興味深い人たちだ。

この本の筆頭を飾るのは、アースキン・チルダースという20世紀初頭の小説家で、恐らくイギリス初のスパイ小説を書いた人。スパイではなかったけれど、作品がイギリス軍の情報機関に影響を与えた。母親がアイルランド人だったので、アイルランド独立運動に加わって処刑された。この人の章を読んで、ドイツのフリージア諸島に行ってみたくなった。

ジョン・バカンはスパイというより、小説家としての成功を買われて情報局の広報担当の上級管理職に就いていた。でもバカン作品の主人公たちは、情報部時代に知り合った軍人がモデルになっているらしい。

サマセット・モームは、本人自身がまるでジョン・ル・カレが描く哀愁のスパイだ。報酬のないスパイとして働いていたが、自分の経験をそのまま作品に書いているらしい。今までモームを文芸作家と思って敬遠していたが、読んでみようと思う。

グレアム・グリーンは、20世紀の有名スパイ、キム・フィルビーの部下だったというのに驚いた。南アフリカのジャングルに駐在していた時から小説を書き始めたとのこと。MI6を辞めた3年後、「第三の男」のシナリオを書いている。ウィーンでシナリオのための取材中に地下水道のことを知り、映画に取り入れたらしい。

イアン・フレミングは、海軍情報部長の専属アシスタントとして奇想天外なアイデアをいくつも出していたとのこと。007シリーズの奇想天外な展開はこの時から作り出されていたのか。1945年に退職し、1952年に「カジノ・ロワイヤル」を刊行した。

ジョン・ル・カレ。この人が一番興味深い人物。実の父親は詐欺師で、父親が死ぬまでその素行に悩まされ続けていた。しかも父親が詐欺師だということを隠すために本当の生活を偽らなければならなかった、というのが生まれながらのスパイ修行になってしまっていたという。全てのル・カレ作品の主人公といえるジョージ・スマイリーは、ル・カレにとっての理想の父親像でもあったのだ。ル・カレはMI5とMI6の両方で働いているので、情報機関について知り抜いているといえるが、その描いている世界はかなり暗い。情報機関の上層部は、実際はこんなに暗くない、と反発しているらしい。

原著は13人のスパイ小説家を取り上げているが、日本語版は日本で作品が刊行されている作家と、ウォーターゲート事件に関わっていた元CIAの作家の7人の章を収録している。