読んだ本と、映画館で観た映画の記録をつけています。
おもしろかったポッドキャストの記事の紹介も。ポッドキャストは、NPR:Story of the DayとKCRW:GOOD FOODから。
コピー&ペースト等転載はお断りします。
2011-04-24
イースターエッグの由来 [GOOD FOOD]
Original Title: Ukrainian Easter Eggs
欧米では4月の最終日曜にイースターを祝う。イエス・キリストの復活を祝うので復活祭とも呼ばれている。この日は彩色したタマゴを飾ったり、庭の植え込みに隠したタマゴを子どもたちに探させたり、タマゴが重要なアイテムとなっている。ウクライナ伝統の装飾エッグの作家に、なぜタマゴなのかについてインタビュー。
イースターのタマゴの起源はキリスト教以前に遡るよう。土着信仰の時代、人々は太陽神がご機嫌斜めだから冬は日が短いのだと考えた。そこでタマゴをお供えして太陽神を呼び戻そうとした。
タマゴが選ばれたのは三つの理由から。その1。タマゴを生む鳥は空を飛んで人間より太陽に近しいから。その2。タマゴの黄身が太陽を連想させるから。そして一番有力な理由であるその3。タマゴを生むニワトリが夜明けに鳴くと太陽が上るので、ニワトリは太陽神に選ばれた生き物と考えたから。
ウクライナ地方は10世紀にキリスト教に改宗したが、タマゴをお供えする慣習はそのまま引き継がれた。ただ、描かれる模様の意味はキリスト教に合致するよう解釈が変わった。
土着信仰の時には等分の8角星を描いていたけれど、キリスト教徒になった後は4点が大きな星となり、十字が強調されるようになった。また収穫のシンボルであった魚は教会の発展を意味するようになった。
ウクライナの伝統的な模様はアラベスク様の渦巻き模様。これには魔除けの意味がある。渦巻き模様を施したタマゴを玄関先に置いておくと、魔物が模様の美しさに魅せられてタマゴに取りつく。しかし模様には終わりがないので、魔物はタマゴから外に出られなくなる、というわけ。
ロシアのエッグアートは有名だけれど、こういう歴史背景があったのですね。ヨーロッパはキリスト教文化一色のように見えるが土着信仰の根強さは侮れない。「銃・病原菌・鉄」を読んでから人類の歴史の見方が変わったのだけれど、そう考えると土着信仰はキリスト教よりずっと長く人々の生活に根を張っていたのだから改宗して1000年程度で消え去るはずもない。
福島県三春滝桜
4月23日、24日と1泊2日で福島県の三春へ滝桜を見に行きました。
出発日は関東地方に洪水注意報がでており、首都高は台風かと思うくらい雨と風が強かったです。常磐道に入ると雨は小降りになり、高速道路沿いの山々は山桜でほんのりピンクに染まり、これを見るだけでも出かけてきた甲斐があったと思えるほどでした。
午後1時過ぎ、三春に到着。福島原発事故と雨のせいか高速道路も滝桜に向かう一般道も空いていました。
滝桜は樹齢1000年。斜面に枝々を伸ばして立っています。かくしゃくたる老貴婦人といった趣。駐車場から滝桜に向かう途中に地元の方々の農産物販売所がいくつかあり、滝桜から取ったという枝垂れ桜の接ぎ木の苗を買いました。
この日は滝桜見物の後、三春町役場の裏山の桜並木を見物して宿へ向かいました。日帰り湯のある民宿のような旅館で、大きな薪ストーブがありました。
旅館の前を川が流れているのですが、この川がボルネオのイバン村を流れていた川にそっくり。懐かしいような気持ちになりました。旅館の食事は山の中にも関わらずなぜか魚料理が多かったです。鮎の塩焼きの付け合わせに出たふきのとう味噌がおいしかった。
翌日、午前3時に起床、午前4時に旅館を出て滝桜へ。午前5時前に着いたのに、すでに20人近い人たちが桜を撮影するために集まっていました。この日の日の出は午前5時50分頃。朝日が射し始めると、滝桜がぱぁっと桜色に色づき後光を放っているかのように見えました。日が昇ると同時に青空が広がり、桜とのコントラストが素晴らしかった。
午前7時頃、滝桜を後にして三春町内の桜の名所をいくつか回りました。滝桜が一番立派ですが、三春には数え切れないほど多くの立派な桜があるのです。まだ3分咲きの桜もありました。
弘法桜は丘の上に、染井吉野と何か別の種類の桜が3本並んで立っています。桜の下は墓地で、まさに「花のもとにて春死なん」の世界。
福聚寺は大きなお寺で、境内を囲む斜面に枝垂れ桜、染井吉野が何十本も花を咲かせていました。弘法桜の墓地もそうでしたが、先月の大地震のため墓石が多数地面に落ちていました。
早起きしたせいでこの日は1日が長く感じられました。他に王子神社、愛宕神社、龍穏院などを訪れ、昼食をとって、町の公民館で春野菜を買い物したにもかかわらず、三春を出発したのは午後1時頃でした。
帰る頃には空は快晴。逆方向の三春滝桜へ向かう道や高速道路の三春出口付近は大渋滞でした。タイミングよく滝桜を楽しむことができ、ラッキーでした。三春にはまだ訪れていない桜の名所が多数あるので、また行きたいと思います。
2011-04-19
英語表現の源「ジェイムズ王欽定訳聖書」 [NPR]
Original Title: Hallelujah! At Age 400, King James Bible Still Reigns
ジェイムズ王欽定訳聖書が発行されて今年で400年。ジェイムズ王版がつくられた背景と、発行以来どれだけ英語に影響を与えているかについての話。
ジェイムズ王はスコットランド出身のイングランド王だったため、イギリス国教会の長としての自分の権威を正当化する必要があった。そこで王は自分版の聖書を新たに作ることにした。
当時、英語聖書には、ビショップ版とジェノヴァ版の2種類があった。ビショップ版は教会で使われていたが古臭く野暮ったい表現が多かった。ジェノヴァ版は清教徒や一般市民に読まれており、力強い内容で手に入れやすかったが注釈が多かった。注釈は国王を揶揄しているようにも読めたので、国王側は何とかして聖書から注釈をなくしたいと考えた。
そこで国王はビショップ版を使う国教会の主教たちとジェノヴァ版を使う清教徒たちを集めて、新しい英語版の制作に当たらせた。47人の学者と神学者が7年かけて聖書の一行一行を訳していった。
英語聖書は今ではいくつかの版があり、ジェイムズ王欽定訳聖書はあまり読まれていないようなのだが、欽定訳から演説、歌詞、小説に数多くの表現が引用されており、ジェイムズ王欽定訳聖書は英語表現の基礎とも言われている。
たとえば、「目の中に入れても痛くないほどかわいい」の英語表現「瞳の中のリンゴ」とか、「地の塩」、「両刃の刃」、「雪のように真っ白」、「剣に生き剣に死ぬ」、「禁断の果実」などなど、日常会話で使われる多くの表現が欽定訳聖書に依拠している。
「白鯨」にも聖書からの引用が数え切れないほどあった。それは信仰心からというより、聖書から英語文学が始まったので作者にとってぴったりの表現が聖書に詰まっているからなのかもしれない。シェイクスピアからの引用と同じ感覚なのかも。
2011-04-18
ピューリッツァ賞を狙うロボット・ジャーナリスト [NPR]
Original Title: 'Robot Journalist' Out-Writes Human Sports Reporter
試合のデータを入力すると新聞に掲載されているようなスポーツ記事を出力する「物語科学」というプログラムの話。
ロボット・ジャーナリストと呼んでいるが、実際はソフトウェア。ノースウェスタン大学の研究チームが開発したプログラムで、研究チームは600万ドルの資金を集めて、このプログラムで起業した。しかし人間ジャーナリストは、ロボット・ジャーナリストに対して懐疑的。
大学スポーツのウェブサイトに掲載されたある野球記事の出来があまりに悪く、これはロボットが書いたのじゃないかと評されたことがあった。投手が完全試合をやってのけたのに、完全試合についてはそっちのけの記事だったのだ。しかしこの記事を書いた記者は、人間だった。
これを知った「物語科学」の開発者たちは、汚名挽回のためロボットに同じ試合についての記事を書かせた。素晴らしい記事が出力され、ロボット・ジャーナリストを馬鹿にしていた人たちもその文章能力を認めないわけにはいかなくなった。
ロボット・ジャーナリストは、野球、フットボール、バスケットボールとスポーツ記事から始めて、株式市場、不動産、地下鉄案内など守備範囲が広がっている。今後は何でも記事にできるようしていきたいとのこと。開発者は、ロボット・ジャーナリストのピューリッツァ賞受賞も夢じゃない、と言っている。
たしかに、素人の文章を読んでいるとイライラすることがしばしばある。最近の記者の中にはブログ感覚で原稿を書いているんじゃないか、と思える人たちも。ロボット・ジャーナリストの方が文章がうまいというのは否めないが、結局ネタあつめや視点は人間が考えているのですよね。それに、ロボットは電気がないと動けないから機動性の点で問題あり。機動性ってジャーナリズムの根幹ではないか。
2011-04-17
シャレード [スタンリー・ドーネン監督]
おかしくて、こわくて、カッコよくて、キュートな映画。
オードリー・ヘップバーンが演じるパリに住むアメリカ人女性が主人公。友人一家とスキー休暇を楽しんでいる間、富豪の夫はパリ発の長距離列車から突き落とされて死亡する。夫の死とともに正体不明の男たちが現れ、夫が持っていたはずの大金のありかを執拗に問いただしてくる。
ケーリ・グラントが相手役。シーンが変わるごとに名前が変わり、主人公は彼を信用したり、不安を抱いたり、でも彼への恋心は変わらない。ケーリー・グラントは相変わらず飄々としている。観客も彼を信用していいのか常に揺れ動いてしまう。
ヘンリー・マンシーニの音楽がお洒落。ジバンシーの衣装は品のある大人のかわいらしさ。オープニングがアニメーションというのは最近の映画ではあまりみられない。007シリーズぐらいではないか。
それにしてもこの女主人公、オードリー・ヘップバーンが演じているからエレガントだけれど、イケイケのヤンキーガールじゃないかと思う。外国にやってきて素性の知れない男と結婚したり、スキー場で初めて会ったケーリー・グラントに電話ちょうだい、なんて口説いたり。そしてまた得体の知れないケーリー・グラントにすぐ恋してしまったり。
オードリー・ヘップバーンはコメディエンヌとしても素晴らしい。演技力があるだけでなく、人間としても素晴らしいから主人公の自由奔放な生き方に観客は反感を抱くことなく映画にのめりこんでしまう。
1963年制作。
少ない睡眠で積極的な人生を送る人たち [NPR]
Original Title: Eight Is Too Much For 'Short Sleepers'
1日の睡眠時間が5時間程度の人たちについての話。睡眠時間が少ない人たちについて研究を続けているカリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究者に話を聞いている。
睡眠時間が少ない人たちは、子どもの頃からあまり睡眠をとっていないよう。昼寝もしないで1日4時間から6時間の睡眠で活発に活動している。起きている時間が長いから1日が他の人より2時間から3時間余分にあるようなもの。いろいろなことに取り組んで活動範囲が広くなっている。
彼らは人生に対して前向きで、新陳代謝がよく、痛みに強いという特徴があるらしい。痛み止めなしで歯の治療を受けている人もいる。本人は「たぶん物事を悪い方にとらないし執着しないからじゃないかな」と言っている。
痩せている人も多い。活動時間が長いからカロリーを消費するのか、睡眠時間と新陳代謝の相関関係から痩せているのかは不明とのこと。
そして彼らは活動的。週に四晩踊っている人もいる。しかもその人は70代の女性。
以前、睡眠時間が8時間の人より7時間の人の方が長生きする、という研究結果が報道されたことがある。個人的経験では、1日の睡眠時間が4時間だった頃10キロ位痩せた。体質にもよると思うけれど、惰眠をむさぼることなく積極的に人生を生きる方がいいですね。
2011-04-04
ギャングの町の、のどかな農場 [NPR]
Original Title: Straight Outta Compton... On Horseback
カリフォルニア州コンプトンは、全米で8番目に危険な町。今年に入ってからすでに500件の暴力事件が起きている。ラップ歌手も「コンプトンから来たんだぜ」とガンをとばしているこの町に、ロサンゼルス近郊で一番大きな農場がある。
農場の歴史は19世紀にまで遡る。農場の所有者だったコンプトン氏が1888年、郡に土地を寄付した。その際、今後ともこの土地は農業用とすること、という条件をつけた。現在は10区画程の広さに個人経営の農場が集まるリッチランド農場となっている。開拓時代を彷彿とさせる農場らしい。ブッシュ大統領親子が住んでいたこともある。
馬に乗って通りを闊歩するカウボーイがいれば、山羊乳から作ったチーズと卵を交換する人たちもいる。あちこちで雄鶏がけたたましく"とき"をあげている。
1940年代頃から、リッチランド農場の住民は白人から中産階級の黒人へと変移した。この10年でまた人口構成が変わりつつあり、ヒスパニックが増加している。メキシコからの移住者がメキシコ流の風習を持ち込んで、古くからの住民との軋轢が起こっている。例えば家畜を放し飼いにしたり、町が禁止している闘鶏を催したり。闘鶏目当ての観光客が外から大勢やって来て通りで騒いだり違法駐車するのも迷惑だ。
市議会はメキシコ人たちの傍若無人ぶりにカンカンだが、住民の中には、世代交代だから仕方ない、と考えている人もいるよう。文化風習は違うかもしれないが、農業に携わっているという共通点が住民を結局は結びつけると考えている。
都市化されても地域に農業が成り立つ余地を残しておくべきではないかと思う。世代交代で変わるものがあっても農業が続いていけば、その土地らしさも失われない。結びつきが強すぎて息苦しいこともあるかもしれないが、住民が結びついていれば暴力犯罪の心配をする必要もないだろうし。
2011-04-03
ツナミとシーフードの関係 [GOODFOOD]
Original TItle: Tsunamis and Marine Life
海洋環境学者に、津波の影響で海の生物がどのようなダメージを受けたかを聞いている。
津波で海底に引きずり込まれた建物や車やその他インフラに素材として使われている化学合成物が海を汚染するのは間違いない。
この海洋環境学者は、スマトラで津波の影響についての調査をしたことがある様子だが、薬品工場からの薬剤流出の例を持ち出して話している。プランクトンは海水をそのまま取り込んでおり、そのプランクトンをエサとする魚はプランクトンごと海水の汚染物を取り込み、その魚をエサとする大型魚にも取り入れられ、それを食べる人間に最終的に蓄積される、と。
放射能についても番組ホストともども懸念を述べている。
これではますます日本食のシーフードが敬遠されてしまうのではないか。
昔、PCBという物質で東京湾が汚染されているというので魚が全く売れなかった時があった。ところが、ヤケになった魚屋がサンマを1尾10円位で投げ売りしたら主婦が殺到したのだ。もちろん、水俣の例もあるから注意しなければならないが。
とにかく消費者力を培って、健康と経済の両立を目指さなければ。
2011-04-01
チェルノブイリ旅日記 ある科学者が見た崩壊間際のソ連 [瀬尾 健著]
1990年に、チェルノブイリ原発事故の調査のためソ連を訪れた京都大学の原子力研究者の旅行記。原発事故の痕、崩壊寸前のソ連について描いている。福島原発の事故が現在進行中の今読むと、非常に示唆に富んでおり、ここで述べられているチェルノブイリの惨状が真に迫って感じられる。
瀬尾氏は原発に反対する立場。IAEAや通産省を痛烈に批判している。事故調査を通産省が行うということは、「マフィアに麻薬捜査を任せるようなものだ」(p.248)とまで言っている。
反面、科学者として危険を知りながら事故を防げなかった自分を責めてもいる。「一般の人たちは、まず「科学者」に責任を全部おっかぶせることができる‥‥そういう問題の立て方をしても誰も怪しまない‥‥われわれはどうすればいいんだ」(p.158)
1986年にチェルノブイリで事故が起きた時、恐ろしいと思う一方、ソ連のような杜撰な行政だから起こったのだ、とも思った。ところがその頃、福井県の美浜やこの福島でも原発の事故はあったのだ。今回ほど決定的な局面に発展することはなかったけれど。そして今福島ではチェルノブイリで起こったことがすべて起こっている。命がけの消火活動、住民の避難、農業の廃業、政府の説明不足、巷に行き交う安全論と強硬反対論、IAEAの介入。行政が杜撰かどうかに関わりなく、事故は起きるということがわかって、今世界は福島に注目しているし、収拾に躍起になっているのだろう。
瀬尾さんは「批判的な目を持つ広範な大衆の存在が不可欠」(p.230)と言っている。学歴があるかないかに関係なく、ひとりひとりが自分で考えることをしなくては。イトイさんが言っている"消費者力"を持たなければ。それにはやはり良質の教育が必要か。
大学の研究者が書いたから専門的な面白みのない文章かと思っていた。ところが読み始めるとぐいぐい引き込まれて、どんどん読み進んでしまった。ソ連社会が生々しく描かれているし、原発のこともわかりやすく書かれている。この先生はどんな人なのだろう、と巻末の略歴を見たら研究所の助手とある。発行当時すでに50代になっているのに。それでネットで調べてみたら、この本が発行された2年後、1994年に亡くなっていた。ガンだったとのこと。放射能が原因ではないと思う。この本からも読み取れるがかなりのヘビースモーカーだったよう。
1995年に一周忌が行われ、追悼文集が編まれた。この追悼文集のPDFをネット上で見ることができる。1995年といったらまだパソコンはそんなに普及していなかった頃だし、PDFを使う人は少なかったと思う。印刷物をその後PDFにしたのではないだろうか。瀬尾氏が人間としてかなり影響力を持っていたことがうかがえる。
この本で瀬尾氏と一緒にチェルノブイリを訪れた相棒の今中氏は、福島原発の事故に関して発言を続けていらっしゃる様子。
しかしこれだけ精力的な研究活動をしているにもかかわらず50代で助手というのは、原子力研究がどれだけ政治的な影響を受けているかが垣間見えるようだ。
ところで、2011年4月1日、原子力の専門家が記者会見を開き、「総力結集」の提言を発表するとともに、事故に至ったことを国民に陳謝した。元原子力安全委員長は「謝って謝れる問題ではない。この事態を避けることに失敗した人間として、考えを突き詰めなかった点で社会に対して申し訳ない」と述べた。(朝日新聞2011年4月7日15面)
瀬尾氏は原発に反対する立場。IAEAや通産省を痛烈に批判している。事故調査を通産省が行うということは、「マフィアに麻薬捜査を任せるようなものだ」(p.248)とまで言っている。
反面、科学者として危険を知りながら事故を防げなかった自分を責めてもいる。「一般の人たちは、まず「科学者」に責任を全部おっかぶせることができる‥‥そういう問題の立て方をしても誰も怪しまない‥‥われわれはどうすればいいんだ」(p.158)
1986年にチェルノブイリで事故が起きた時、恐ろしいと思う一方、ソ連のような杜撰な行政だから起こったのだ、とも思った。ところがその頃、福井県の美浜やこの福島でも原発の事故はあったのだ。今回ほど決定的な局面に発展することはなかったけれど。そして今福島ではチェルノブイリで起こったことがすべて起こっている。命がけの消火活動、住民の避難、農業の廃業、政府の説明不足、巷に行き交う安全論と強硬反対論、IAEAの介入。行政が杜撰かどうかに関わりなく、事故は起きるということがわかって、今世界は福島に注目しているし、収拾に躍起になっているのだろう。
瀬尾さんは「批判的な目を持つ広範な大衆の存在が不可欠」(p.230)と言っている。学歴があるかないかに関係なく、ひとりひとりが自分で考えることをしなくては。イトイさんが言っている"消費者力"を持たなければ。それにはやはり良質の教育が必要か。
大学の研究者が書いたから専門的な面白みのない文章かと思っていた。ところが読み始めるとぐいぐい引き込まれて、どんどん読み進んでしまった。ソ連社会が生々しく描かれているし、原発のこともわかりやすく書かれている。この先生はどんな人なのだろう、と巻末の略歴を見たら研究所の助手とある。発行当時すでに50代になっているのに。それでネットで調べてみたら、この本が発行された2年後、1994年に亡くなっていた。ガンだったとのこと。放射能が原因ではないと思う。この本からも読み取れるがかなりのヘビースモーカーだったよう。
1995年に一周忌が行われ、追悼文集が編まれた。この追悼文集のPDFをネット上で見ることができる。1995年といったらまだパソコンはそんなに普及していなかった頃だし、PDFを使う人は少なかったと思う。印刷物をその後PDFにしたのではないだろうか。瀬尾氏が人間としてかなり影響力を持っていたことがうかがえる。
この本で瀬尾氏と一緒にチェルノブイリを訪れた相棒の今中氏は、福島原発の事故に関して発言を続けていらっしゃる様子。
しかしこれだけ精力的な研究活動をしているにもかかわらず50代で助手というのは、原子力研究がどれだけ政治的な影響を受けているかが垣間見えるようだ。
ところで、2011年4月1日、原子力の専門家が記者会見を開き、「総力結集」の提言を発表するとともに、事故に至ったことを国民に陳謝した。元原子力安全委員長は「謝って謝れる問題ではない。この事態を避けることに失敗した人間として、考えを突き詰めなかった点で社会に対して申し訳ない」と述べた。(朝日新聞2011年4月7日15面)
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