2012-09-19

黄色い部屋はいかに改装されたか? [都筑道夫著]


三谷幸喜氏がエッセイの中で、「黄色い部屋はいかに改装されたか?増補版」を買って読んだ、というのを読み、読んでみることに。

ミステリ誌の編集者であり推理小説作家である著者が、本格推理小説のあり方について考察している。なるほど、と得心しながら読んだ。たとえば、ミステリの三原則は、1. 発端の怪奇性。2. 中段のサスペンス。3. 解決の意外な合理性であるが、読者が一番求めているのは、論理的な解明なのである、と。

論理的な解明、というのはボオが、オーギュスト・デュパンが主人公の作品の中でさかんに言っていた。論理的な筋立ての小説を書く、というのが当時はチャレンジだったのか。たしかに、解明が論理的でないとものすごい不満が残る。

本格推理小説のテーマとして、ダイイング・メッセージ、ミスディレクション、トリックを挙げている。トリックへのツッコミがはげしい。それが本当にうまく作動するのは偶然に左右されるじゃないか、とか、自分への嫌疑を逸らすためにそこまで面倒くさいことをするだろうか、とか。

ポオが始めた本格推理はネタが出尽くした感があるから、パターンを踏襲しつつ自分なりのストーリー展開をしてもいい、つまり"盗作"も可能だ、と言っている。むしろそうでないと陳腐な作品になってしまう。ポール・アルテはパターンを踏襲しているかに見せてもう1回捻って読者をあっと驚かせてくれる。

取り上げている作家は、ポオ、カー、クィーン、ヴァン・ダイン、クリスティ、ドイル、クロフツ。日本の作家では横溝正史が挙げられていて「獄門島」「本陣殺人事件」の評価が高い。私が一番好きな「悪魔の手鞠唄」はタイトルは挙げられているが力及ばず、とのこと。

こうして都筑氏の評論というか考察を読んでいると、東野圭吾のすごさをあらためて認識。都筑氏は東野圭吾作品をどのように評論しているのだろうか。

三谷氏も書いているけれど、色々古典物を読みたくなってきた。

ところでタイトルの「黄色い部屋」については全く触れられていない。